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大分県別府市・太陽の家 障がい者就労支援の草分け

大分県別府市・太陽の家 障がい者就労支援の草分け

 大分県別府市にある社会福祉法人「太陽の家」は、障がい者の就労支援の草分け的存在だ。1965年の創設以来、「保護より機会を」を理念に、企業との連携などを通じて、障がい者が働く場づくりに力を注いでいる。障がい者福祉、高齢者介護の業務支援システム「絆」を開発・販売する内田洋行(東京都中央区、大久保昇社長)のモデルユーザーでもある。

オムロン、三菱商事などと共同出資会社を設立

 同法人が運営する工場やスーパーマーケットなどで雇用する就労継続支援A型事業所では、愛知県、京都府の事業所を合わせて123人(18年5月現在)の障がい者が働く。そのほかにも、就労継続支援B型や就労移行支援などさまざまな事業を展開しており、それぞれの能力に応じた就労や社会参加の機会を提供する。およそ1100人の障がい者が同法人や関連企業などで就労したり、障害福祉サービスを利用している。
企業との共同出資会社は8社を構える

企業との共同出資会社は8社を構える

 同法人の取り組みの中でも、特徴的なのが民間企業と設立した共同出資会社だ。現在、▽オムロン ▽ソニー ▽ホンダ ▽三菱商事 ▽デンソー ▽本田技術研究所 ▽富士通エフサス ――などの日本を代表する企業と連携し、全国で8社の共同出資会社をつくり、多くの障がい者を雇用している。

 この取り組みは同法人創設者、故・中村裕氏(医学博士)の「保護より機会を」「世に身心障がい者はあっても仕事に障がいはあり得ない」との訴えに、当時の起業家らが共鳴して実現したもの。国内初の福祉工場ができた同じ1972年に「オムロン太陽」が設立された。同社は初年度から黒字を達成。中村氏は従業員の納税証明書を会社に飾り、誰よりも喜んだという。

「足りないところは科学の力で」

 共同出資会社では、民間企業が就労の場の提供や技術指導を行い、従業員の健康管理や日常生活の支援などは太陽の家が担う。1983年設立の「三菱商事太陽」では今年4月現在、従業員114人のうち70人が障がい者(身体49人、知的2人、精神19人)。四肢麻痺など、重度の身体障がい者も多く活躍する。

 同社では、財務情報やポイント会員情報のデータ入力や名刺・パンフレットを制作するDTP事業などIT関連事業を幅広く展開する。オフィスは広い動線を確保し、車いす利用者が扱いやすいようにコンセント、スイッチ類の位置も工夫がされている。そのほか、手指が不自由な人向けのトラックマウスボールや、拡大モニター、音声読み上げソフトといった、さまざまな機器や設備を導入し、働きやすい環境がつくられている。「足りないところは、科学の力で」。これも生前、中村氏が唱え続けていた言葉だ。

 他企業との連携も積極的だ。内田洋行からの提案を受けて、太陽の家をモデルユーザーとした「絆あすなろ台帳システム」の共同開発に取り組んだ実績ももつ。内田洋行の担当者は、この連携をきっかけに、「障がい者福祉の事業運営にマッチした、より使いやすいシステムを提供できるようになった」と評価する。
電源やケーブルも天井から配線。車いす利用者などに配慮(三菱商事太陽)

電源やケーブルも天井から配線。車いす利用者などに配慮(三菱商事太陽)

訓練生から同法人の理事長に

山下達夫理事長

山下達夫理事長

 今年6月に、太陽の家理事長に就任した山下達夫氏(59)は、三菱商事太陽創業時の社員の一人。1歳で脊髄性小児まひを発症し、四肢麻痺となった。重度の身体障がいのため、当時は養護学校にも入学を断られたという。母親が一日中付き添うことを条件に普通小学校の入学が認められ、登下校を母親、校内はクラスメイトにおぶってもらって移動した。高校卒業後、父親の勧めもあり、18歳で生まれ育った山口県下関市を離れ、訓練生として太陽の家にやってきた。「自立して家庭をもつこと」を原動力に必死でコンピュータを学んだという。

 三菱商事太陽に入社してしばらくは、プログラマーとして働いたが、「実はあまり好きな仕事じゃなかった」と苦笑する。自らを「人好き」と評する山下理事長。社内外のさまざまな人と関わる業務に異動すると、水を得た魚のように成果を上げ、14年には障がい者として同社初の社長に就任した。

 40年以上前に太陽の家の訓練生だった山下氏。同法人の理事長となった現在、企業とのさらなる連携を模索し、全国を飛び回る。自ら企画した車いすレーサーのミニカーは発売1カ月で4000台近くを売り上げた。同法人の就労継続支援B型の事業所で一つ一つ丁寧に製作される。

 「仕事がなければ、障がい者の社会参加や自立の機会が減る。できる限り、多くの、そして付加価値の高い仕事をつくることが私の使命」と話す山下理事長。「レストランも作りたい。そこで集客力のある看板料理を出し、障がいのある人、ない人がともに集うコミュニティをつくりたい」と目を輝かせ、将来の構想を語った。

 働く仲間たちには「感動される人から、感謝される人になろう」と呼びかける。「創設者の中村は『障がい者だけの社会では意味がない。太陽の家なんかなくなればいい』とよく話していた。これからも共生社会の実現に向けて歩み続けたい」(山下理事長)。

(シルバー産業新聞2018年10月10日号)

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