コラム

でく工房 障がい児いすづくりの半世紀

でく工房 障がい児いすづくりの半世紀

 福祉用具の原点をつらぬく会社がある。「でく工房」(東京都昭島市、竹野節子社長)。社名は「大工」に由来するという。いまから51年前、1974年7月に、長崎の佐世保から上京した幼なじみの3人が障がい児のための椅子づくりを始めた。ものづくりの大好きな竹野広行、光野有次、松枝秀明の3氏。浜副太郎くんという障がい児に出会い、木製の姿勢保持いすを作ったのが始まりだ。

 竹野氏は、自書『街の小さな木工所から』(はる書房、85年1月刊)の中で、「ぼくらの仕事の大半をしめる脳性マヒ児のいす(姿勢保持の道具)作り」を語っている。

 「注文の電話が入ると、まずだいたいの様子、どんなものを必要としているのかなどを聞いて、打ち合わせを決める。医療や学校などのチームの中に、僕らも入っていき、少しでも生きやすく暮らしやすくする努力をともに始める。『こんにちは』とまず子どもに挨拶。症状としていろいろな型があり、典型的に出ている場合や、複合している場合がある。ぼくらは、子どもをじっくりとよく見ることから始めなければならない。彼らがなんとかして、ひとりで歩行できるようになることが、訓練や治療の最終目標であると、自分なりに理解している」と、その冒頭で述べている。

 「喜んでもらえるのがうれしいと言って、ちゃんとした道具もない中で、削って丸棒を作ったりしていました」と、竹野節子社長は振り返る。竹野氏の妻となり、22年前に医療過誤で亡くなった竹野氏の後を引き継いだ。

 「それからつぎつぎと、同じような悩みをもつ子どもたちのために、さまざまな道具をつくってほしいと頼まれるようになりました」と話す。

 やがて、3人はその思いを同じに、それぞれの道を歩むようになる。

 こうした動きが全国に広がり、障がい者・児の道具作りを担う工房が誕生した。1980年には全国工房連絡会議ができ、毎年集まるようになった。「顔を合わせて、情報交換・生息確認・情報充電と、少しの慰安を兼ねた大パーティをやる」(竹野、同書より)。
こどものための福祉機器展を開催する

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 同書増補版(88年刊)には、34の工房がリストアップされている。この全国工房連絡会議は、日本車いす工業会などと合流し、2012年、現在の日本車椅子シーティング協会(松永圭司代表理事、139社加盟)へと発展した。

(シルバー産業新聞2025年9月10日号)

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