インタビュー・座談会
車いすヒッチハイカー 全国を旅する/寺田ユースケ(前半)

愛知県名古屋市出身の寺田ユースケさん(28歳)は車いすに乗ってヒッチハイクをしながら全国を旅している。生まれつきの脳性まひにより歩行に不自由がある。19歳から使い始めた車いすが、人生を明るく変えたと話してくれた。

車いすが人生を明るく変えた
――ずっと車いすを利用していたのですか。
生まれつき脳性まひという障がいで、大学生の頃までは足を引きずりながら歩いて生活していました。19歳のときに母から車いすを勧められ、周りからも「足を引きずりながら歩いて、汗をかいて生活するより、車いすに乗ったほうが楽だから乗ってみなよ」と1年くらい言われていました。ですが、車いすに乗ると、足がもっと悪くなり小学生からやってきた野球ができなくなると思ったのと、見た目が障がい者になってしまうと思っていたので、1年間くらいずっと断っていました。
生まれつき脳性まひという障がいで、大学生の頃までは足を引きずりながら歩いて生活していました。19歳のときに母から車いすを勧められ、周りからも「足を引きずりながら歩いて、汗をかいて生活するより、車いすに乗ったほうが楽だから乗ってみなよ」と1年くらい言われていました。ですが、車いすに乗ると、足がもっと悪くなり小学生からやってきた野球ができなくなると思ったのと、見た目が障がい者になってしまうと思っていたので、1年間くらいずっと断っていました。
――車いすに乗ると決意したきっかけを教えてください。
イギリスに留学したいという気持ちが芽生えたのが大きなきっかけです。移動用にミニ自転車に乗っていましたが、これではイギリスに行けないと思い、1週間だけ車いすに乗ろうと決めたのが最初です。
僕の足に障がいがあるとわかってから健常者の母親は車いすダンスを習っていたので、まずは車いすダンスで使っている折りたたみ式の簡易車いすに乗ってみました。
イギリスに留学したいという気持ちが芽生えたのが大きなきっかけです。移動用にミニ自転車に乗っていましたが、これではイギリスに行けないと思い、1週間だけ車いすに乗ろうと決めたのが最初です。
僕の足に障がいがあるとわかってから健常者の母親は車いすダンスを習っていたので、まずは車いすダンスで使っている折りたたみ式の簡易車いすに乗ってみました。

寺田ユースケさん
(てらだ・ゆーすけ)1990 年愛知県出身。関西学院大学社会学部卒業。脳性まひにより生まれつき足が不自由。大学在学中にイギリスへ留学。帰国後、お笑い芸人・ホストを経験。その後、「車いすを押してくれませんか?」と道ゆく方々に声をかけ進む車いすヒッチハイクで全国を旅している。著書に「車イスホスト。」(双葉社)。車いすヒッチハイク旅の様子などをYouTube チャンネル「寺田家TV」で配信中。
車いすはかぼちゃの馬車
――車いすに乗って感じたことはなんですか。
まず実感したのが、歩きながら友人と話せるということです。これまで歩いているときは、「右足だして、次は左足だして」と考えて歩かなきゃいけなかったので、なかなか友達と会話を楽しむ余裕が無かったんです。とにかく、歩くことに必死でした。ぜんぜん会話についていくことができなくて、周りから「寺田は話を聞いていない」と言われたこともありました。
でも、車いすに乗れば会話しながら何処へでもいけて、行動範囲が10倍、20倍にも広がりました。こんなに良いものなのに何故今まで乗らなかったのだろうと、後悔しましたね(笑)。
1年前に乗っていたらもっといろんなことできたのになーとか、そもそももっと早い時期から乗ってても良かったんじゃないかと思うくらい自分の中で革命というか、魔法にかけられたように明るくなっていきました。僕にとって車いすはかぼちゃの馬車です。
まず実感したのが、歩きながら友人と話せるということです。これまで歩いているときは、「右足だして、次は左足だして」と考えて歩かなきゃいけなかったので、なかなか友達と会話を楽しむ余裕が無かったんです。とにかく、歩くことに必死でした。ぜんぜん会話についていくことができなくて、周りから「寺田は話を聞いていない」と言われたこともありました。
でも、車いすに乗れば会話しながら何処へでもいけて、行動範囲が10倍、20倍にも広がりました。こんなに良いものなのに何故今まで乗らなかったのだろうと、後悔しましたね(笑)。
1年前に乗っていたらもっといろんなことできたのになーとか、そもそももっと早い時期から乗ってても良かったんじゃないかと思うくらい自分の中で革命というか、魔法にかけられたように明るくなっていきました。僕にとって車いすはかぼちゃの馬車です。
