インタビュー・座談会

可能性拡げる福祉用具 花岡伸和/西野雅信/長倉寿子(1)

可能性拡げる福祉用具 花岡伸和/西野雅信/長倉寿子(1)

 車いす陸上競技でパラリンピック2大会に出場、両大会とも入賞と、輝かしい成績を残した花岡伸和さん。17歳の時に起きたバイク事故で下半身不随になり、車いす生活が始まった。厚生労働省の長倉寿子さん、千葉県福祉ふれあいプラザの西野雅信さんとともに、福祉用具活用の可能性などについて語ってもらった。

 この記事は、三部に分けて紹介します。
 ■(1)体の下半分が動かない/車いすで行きたいところへ (本ページ)
 ■(2)日常生活を取り戻す/家族も支える福祉用具 (リンク先)
 ■(3)もっと広がる道具の可能性/生活動線の確保 (リンク先)

「体の下半分が動かない」

 花岡 花岡です。17歳の時にバイク事故で車いす生活が始まりました。それから福祉用具が日常生活になくてはならないものとなっています。本日はアスリートとしてというより、これまでや普段の生活についてお話ししたいと思っています。
 長倉 長倉です。作業療法士として、医療機関や高齢者施設を始め、地域で暮らす方々へのリハビリテーションなどにも関わってきました。今年4月から、厚生労働省の介護保険を所管する部署で、福祉用具・住宅改修、介護ロボットの施策に携わっています。
 西野 西野です。もともとは東京都江戸川区で、介護職として現場に立っていました。現在は千葉県の介護実習センターを含む複合施設で統括責任者を務めています。福祉用具関連では、福祉用具サービス計画書のガイドライン策定に関わるなどしていました。
 花岡 人生でそれまで大きなケガや病気をしたことがなかったので、入院したのもそれが初めてでした。病院に搬送される時から、とてつもなく痛いのに体の下半分は感覚がないし動かない。これは普通のケガではないと思いました。ウェイン・レイニーというプロライダーが、脊髄損傷で引退を余儀なくされたことを思い出し、「僕も多分それや」と直感しました。だから医師から説明を受けたときも、それほど驚きはありませんでしたね。
 長倉 自分の体に何が起こったか、薄々気づいていたのですね。
 花岡 はい。ただ気持ちの切り替えは早かったと思います。もちろん事故自体は決していい思い出ではありません。家族にも迷惑をかけてしまいましたし。だけど、そのウェイン・レイニーは事故の翌年には、監督として車いす姿でレース現場に復帰していることも知っていたので、「自分次第でまた色々なことができる」と自然にそう思えていたんです。
 花岡伸和さん

 花岡伸和さん

(はなおか・のぶかず)元・車いす陸上競技選手
 大阪府出身、46歳。17歳の時にバイク事故で脊髄を損傷、へそから下がマヒし、車いす生活が始まる。車いす陸上競技選手としてパラリンピック2大会に出場。2012年のロンドンパラリンピックを機に引退し、現在はハンドサイクリストとしてアスリート活動を続けながら、コーチとして後進育成にも力を入れる。家族は妻と息子。

車いすで自分の行きたいところへ

 花岡 車いすに乗ることへの抵抗もありませんでした。むしろ、「これで好きなところへ行ける」と乗れることにワクワクしていました。病院の車いすをあれこれ乗り比べて、「見てー!」って院内を走り回っていました(笑)
 西野 すごい! 障がいであっても加齢であっても、「できなくなってしまった」と落ち込むのが普通です。そこから、さまざまな関わりを通して、本人の意欲や行動を引き出すのが我々のような支援者の役割ですが、花岡さんのように、「あれを使えば、これができるかも」と自ら気づいて行動へ移せる方はなかなかいないでしょう。
 長倉 福祉用具が持つ役割の一つが自立支援です。花岡さんの「車いすに乗れば、行きたいところへ行ける」を実現する用具が車いすですね。
 ハンドサイクル(上)、車いすマラソン(下)。特に車いすマラソンでは2012年の ロンドンパラリンピックで5位入賞など輝かしい成績をおさめた花岡さん

 ハンドサイクル(上)、車いすマラソン(下)。特に車いすマラソンでは2012年の ロンドンパラリンピックで5位入賞など輝かしい成績をおさめた花岡さん

(福祉用具の日しんぶん2019年10月1日号)

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