インタビュー

「最後まで好きなことを」 タバコをくゆらせ逝った母/小池百合子さん(前編)

「最後まで好きなことを」 タバコをくゆらせ逝った母/小池百合子さん(前編)

 東京都の小池百合子知事は、母・恵美子さんを自宅で看取った経験を持つ。肺がんの宣告を受けた際、手術や化学療法を選ばず、がんとの共生を選び、残された人生を楽しく過ごす選択をした母。その意思を受け止め、自宅で看取った小池知事に、当時の介護体験を振り返ってもらった。インタビュー前編。

 前後編に分けて内容を紹介する。
 ■(前編)自宅での看取りを決意/介護保険のありがたさ (本ページ)
 ■(後編)情報共有の「介護日誌」/介護人材確保 (リンク先)

末期がん宣告後、自宅での看取りを決意

 ――母・恵美子さんはどのような方だったのでしょうか。
 1925年、大正14年生まれの母からは、自身が青春時代を戦時中に過ごした経験から、「好きなことができるのだからそれをしないなんて駄目よ」とよく言われていました。「ほかの人と違うこと」を良しとする母でしたから、それがカイロ大学への留学でしたり、女性初の都知事など、私の生き方に大きな影響を与えてくれました。
 母自身もいろいろなことにチャレンジする人で、私の大学卒業と入れ替わる形で、カイロで日本料理店を開店するなど、自分の言葉を体現する人でした。
 普段のおしゃれにも気を遣っていて、体調が悪くなる直前まで高いヒールを履き、背筋をしっかりと伸ばして歩く人でした。私も背中をたたかれて「背筋をしっかり伸ばしなさい」とよく言われたものです。
 タバコが大好きで、入院先の病室で豪快にタバコをふかし、大目玉を喰らって追い出されたこともあるほどです。
 ――自宅で介護を行うまでの経緯は。
 2012年の初頭に体調が悪くなり、検査入院を行ったところ「肺がんのステージⅡA」ということが分かりました。お医者様からは手術や化学療法を提示されたのですが、「がん細胞と闘わず共生する」「残りの人生を楽しむ」との方針を定め、自宅で療養することを選びました。
 その後1年半ほどは大きな体調の変化もなく、症状は安定していたのですが、その年の夏が酷暑だったこともあって、体の衰えが目に見えるようになり、再び入院することになりました。
 再検査を行ったところ、がんが末期まで進行しており、余命1カ月であることが私に伝えられました。
 「自宅で最期を迎えさせてあげたい」。迷いはありましたが、在宅で母を介護することを決めました。
 知事と母・恵美子さん、愛犬のソウちゃんと

 知事と母・恵美子さん、愛犬のソウちゃんと

身をもって知った介護保険制度のありがたさ

 ――自宅での看取りを決断した理由は。
 一つは父を看取ることができなかったことです。それが後悔として残っていて、母の最期をどうしても見届けたいと思いました。また、事務所のスタッフに祖母を看取った人がいて、「とても幸せな最期を迎えることができた」と聞いていたことも、私の背中を押してくれました。
 もう一つが、医療・介護の専門家によるサポートです。私の場合は、退院時に病院で紹介してもらった医師の存在が非常に大きかったです。ひげを生やした風貌から、母は「ドクターマリオ」と呼んでいましたが(笑)。奥様も看護師をされており、在宅で看取りを行う上での精神的な支柱にもなりました。
 ――在宅で介護をするために、どのような準備をされましたか。
 10年前に自宅を建てた際のコンセプトの一つが、母のためにバリアフリーを充実させることでしたので、住環境はすでに整っていました。
 ですが、福祉用具をどのように選べば良いのか迷いました。介護ベッドひとつとっても種類が多く、母にとってどれが一番合っているのか、私だけでは見当がつきませんでした。そこで頼りにしたのがケアマネジャーや福祉用具専門相談員など、介護の専門家の方々です。ケアマネジャーはすぐに自宅に来てくださり、住環境を確認した上で、ケアプランを立ててくれました。
 母の部屋には介護ベッドとそのすぐ横にポータブルトイレを設置。さらに、転倒予防のためにベッドの足元にマット型の徘徊感知センサーを敷きました。介護ベッド用のマットレスや車いす、シャワーチェアなども準備してくれました。
 こうした福祉用具が介護保険制度の仕組みで利用でき、費用負担も1割で済みましたので、制度のありがたさを身をもって知りました。

(介護の日しんぶん2019年11月11日)

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