話題
「みんな違って みんないい」 金子みすゞ記念館
「いま日本で最も知られた童謡詩人は、山口県長門市の仙崎に生まれ育ち、26年の生涯で512編の詩をのこした金子みすゞでしょう」と言うのは、児童文学者で、埋もれていたみすゞの詩作を見つけ出した矢崎節夫さん。金子みすゞの魅力を話してもらった。
深い母性に共感
埋もれた詩集を見つけ出す
かまぼこで知られる仙崎は、日本海に突き出した青海島に守られた良港で、大正期頃までは捕鯨も行われていた。時に子連れのクジラも取れる。村では戒名をつけてクジラに葬った。父は漁がうまくいくと、仏壇に座り、みなの無事への礼とともに、捕れたクジラや魚に手を合わせた。
「朝やけ小やけだ 大漁だ」で始まるみすゞの「大漁」という詩がある。「大ばいわしの大漁だ。浜は祭りのようだけど 海の底では何万の、いわしのとむらい するだろう」とつづられる。
親戚の援助で書店を開いていた仙崎の同じ場所に、生誕100年にあたる13年前に長門市が「金子みすゞ記念館」を建てた。これまで150万人が訪れている。矢崎節夫さんが館長になった。「みすゞの詩には、母親の眼差しがあります」と言う。「クジラを葬る土地で育ち、生命によって生命が支えられている事実を見つめたのです」。
かまぼこで知られる仙崎は、日本海に突き出した青海島に守られた良港で、大正期頃までは捕鯨も行われていた。時に子連れのクジラも取れる。村では戒名をつけてクジラに葬った。父は漁がうまくいくと、仏壇に座り、みなの無事への礼とともに、捕れたクジラや魚に手を合わせた。
「朝やけ小やけだ 大漁だ」で始まるみすゞの「大漁」という詩がある。「大ばいわしの大漁だ。浜は祭りのようだけど 海の底では何万の、いわしのとむらい するだろう」とつづられる。
親戚の援助で書店を開いていた仙崎の同じ場所に、生誕100年にあたる13年前に長門市が「金子みすゞ記念館」を建てた。これまで150万人が訪れている。矢崎節夫さんが館長になった。「みすゞの詩には、母親の眼差しがあります」と言う。「クジラを葬る土地で育ち、生命によって生命が支えられている事実を見つめたのです」。
喜びの向こうの哀しみ
3.11の震災が東北を襲った時に、テレビ・ラジオで流されたみすゞの詩「こだまでせうか」を、多くの日本人が共感をもって聞いた。「難しい言い方はいくらでもできますが、みすゞの詩はわかりやすい。子どもがぶつけて痛がっている時に、『痛いね』と共感するようなやさしさが、この詩に流れています。大漁を喜ぶ向う側で、見えないけれどある、魚たちの哀しみをも感じるという二重の絵が、詩の深さになって、みすゞコスモスを築いているのです」と、矢崎さんは説明する。
「こだま」について、矢崎さんはつぎのようにも書いている。
「こだまでしょうか、いいえ、誰でも。こだまを返すのは誰でもできるのです、と。自分に何ができ、何をなすべきかを深く考え、こだまするのが今なのです。大きな輪の中で小さなこだまの一つであったとしても」と。
また、詩「私と小鳥と鈴と」では「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。この世にあるものは、誰一人、なに一つ、同じものはなく、だからこそみんなすばらしい、と。違う言葉で言えば、丸ごと認めて、傷つけないということです」と説明する。
3.11の震災が東北を襲った時に、テレビ・ラジオで流されたみすゞの詩「こだまでせうか」を、多くの日本人が共感をもって聞いた。「難しい言い方はいくらでもできますが、みすゞの詩はわかりやすい。子どもがぶつけて痛がっている時に、『痛いね』と共感するようなやさしさが、この詩に流れています。大漁を喜ぶ向う側で、見えないけれどある、魚たちの哀しみをも感じるという二重の絵が、詩の深さになって、みすゞコスモスを築いているのです」と、矢崎さんは説明する。
「こだま」について、矢崎さんはつぎのようにも書いている。
「こだまでしょうか、いいえ、誰でも。こだまを返すのは誰でもできるのです、と。自分に何ができ、何をなすべきかを深く考え、こだまするのが今なのです。大きな輪の中で小さなこだまの一つであったとしても」と。
また、詩「私と小鳥と鈴と」では「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。この世にあるものは、誰一人、なに一つ、同じものはなく、だからこそみんなすばらしい、と。違う言葉で言えば、丸ごと認めて、傷つけないということです」と説明する。
埋もれた詩集を見つけ出す
夫から童謡づくりを禁じられたみすゞは、手帳にそれまで書き留めた詩を清書して、西條八十と実弟に残した。矢崎さんはそれを探し出し、世に問うた。今から33年前のこと。矢崎さん自身も30代半ばの若さだった。96年に初めて国語の教科書に載り、いまでは学年こそ違え、すべての小学生がみすゞの詩を勉強するようになった。代表作など60編を集めた「私と小鳥と鈴と」(JURA出版局)は、これまで100万冊以上発行している。
「詩作ができなくなり、みすゞは自分の子、ふさえが発した言葉を書き留めています。母として生き、子の言葉の中に詩を見つけたのです」。
「みすゞの詩は子どもだけでなく、親も、人生のベテランであるお年寄りも、3世代で読んで会話ができます」
矢崎さんはねんりんピックに出場する人生のベテランに向けて、地域の若い世代へ「伝える」という役割をぜひ担っていただきたいとエールを送る。みすゞが詩を残して未来に生きたように、若者や地域の人たちに伝えていくことで、ひととひとの生命がつながっていく。
夫から童謡づくりを禁じられたみすゞは、手帳にそれまで書き留めた詩を清書して、西條八十と実弟に残した。矢崎さんはそれを探し出し、世に問うた。今から33年前のこと。矢崎さん自身も30代半ばの若さだった。96年に初めて国語の教科書に載り、いまでは学年こそ違え、すべての小学生がみすゞの詩を勉強するようになった。代表作など60編を集めた「私と小鳥と鈴と」(JURA出版局)は、これまで100万冊以上発行している。
「詩作ができなくなり、みすゞは自分の子、ふさえが発した言葉を書き留めています。母として生き、子の言葉の中に詩を見つけたのです」。
「みすゞの詩は子どもだけでなく、親も、人生のベテランであるお年寄りも、3世代で読んで会話ができます」
矢崎さんはねんりんピックに出場する人生のベテランに向けて、地域の若い世代へ「伝える」という役割をぜひ担っていただきたいとエールを送る。みすゞが詩を残して未来に生きたように、若者や地域の人たちに伝えていくことで、ひととひとの生命がつながっていく。
地元の商工会の青年部が、希望者の顔写真を12万人集めて、金子みすゞの自画像のモザイクアートを造った。高さ31m、横幅42mの巨大なオブジェは、ギネス認定を受けた。パーツは違う顔ばかりだが、みんな違って、みんないい顔で、みすゞ像に。
「こだまでせうか」 金子みすゞ
「遊ばう」っていふと、
「遊ばう」っていふ。
「馬鹿」っていふと
「馬鹿」っていふ。
「もう遊ばない」っていふと
「遊ばない」っていふ。
そうして、あとで
さみしくなって、
「ごめんね」っていふと、
「ごめんね」っていふ。
こだまでせうか、
いいえ、誰でも。
(原文の文語のまま)
「遊ばう」っていふと、
「遊ばう」っていふ。
「馬鹿」っていふと
「馬鹿」っていふ。
「もう遊ばない」っていふと
「遊ばない」っていふ。
そうして、あとで
さみしくなって、
「ごめんね」っていふと、
「ごめんね」っていふ。
こだまでせうか、
いいえ、誰でも。
(原文の文語のまま)
金子みすゞ記念館
長門市仙崎字祗園1308 Tel.0837・26・5155
開館時間:9時~17時(入館は16時30分まで)
休館日:12月29日~1月1日
入館料:一般350円、高校生以下150円
長門市仙崎字祗園1308 Tel.0837・26・5155
開館時間:9時~17時(入館は16時30分まで)
休館日:12月29日~1月1日
入館料:一般350円、高校生以下150円
(ねんりんピック新聞2015in富山)