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やまゆり園再生基本構想を考える⑭/中山清司(連載171) 

やまゆり園再生基本構想を考える⑭/中山清司(連載171) 

 前回、強度行動障害のある自閉症の人で、過度にコーヒーを要求する事例を検討してみた。それは、1日に何リットルも水やコーヒーを飲んで水中毒になってしまう、スタッフルームで用意していた20人分のコーヒーを一気に飲まれた、自動販売機で缶コーヒーを毎日4本購入するがどれも一口飲んでは全部捨ててしまう――といったレベルを想定している。

自閉症の人の特性踏まえ、「見通し」示して支援


 実際、入所施設の手洗い場にある水道栓が全部閉められているところがある。おおよそ、現場スタッフからは、「入所者に水飲みが激しい人がいて、止められないのです」という回答が返ってくる。
 筆者がかかわった別の例では、入所施設で暮らすコーヒーが好きな入所者がいて、常に特定のスタッフにまとわりついて施設内を歩きまわっていた。理由を聞くと、何度か、そのスタッフからお茶の時間以外でもコーヒーを飲ませてくれたことがあったそうだ。それ以来、彼はこのスタッフが「大好き」になって、またコーヒーが飲めるんじゃないかと期待している様子だった。

 厚生労働省がまとめた意思決定支援のガイドラインで、決定的に不足しているのは、当事者の障害特性が十分に考慮されていない(ガイドラインに含まれていない)点だと筆者は考える。
 自閉症の認知特性・学習スタイルは前々回にまとめたが、自閉症の人は、ものの見方や理解のしかた・感じ方が、一般の人とかなり違いがある。この違いを「自閉症の文化」と呼ぶこともあるが、ありていに言えば価値観そのものが違っていることもある。コーヒーは1~2杯飲めればそれで十分だろうという常識的な前提がそもそも通じない、ということがあり得るのだ。
 それは別に病的なものでもないし、いわんや否定されるものでもない。しかしながら、支援現場では、障害特性が理解されないまま対応されていることに支援者は気付かず、おかしなことがよく起こっている。それはある意味、「自閉症の文化」を認めないところから支援が始まっていると筆者には見える。

 よく、支援者は次のように言い聞かせようとする。「さっきコーヒー飲んだよね。だから今日はもうありません」とか「これはスタッフのコーヒーです。あなたのではありません」「コーヒーが欲しいなら、ちゃんと言いなさい」などなど。
 支援者中心の意思決定支援のミーティングでも、次のような話し合いになったりする。「○○さんは、コーヒーが欲しいと言っています。だから、1日3杯までは認めたらどうでしょう」とか「コーヒーはダメだけど、お茶だったらいいんじゃないか」「写真で選んだから、コーヒーが飲みたいという意思として尊重すべきだ(何回でも飲んで構わない)」などとなる。

 コーヒーが欲しくて、特定のスタッフにまとわりついていた入所者の話に戻ろう。彼への対応もまた、当時は、程度の問題として扱われていた。コーヒーが飲めないからスタッフにまとわりつく、コーヒーが飲めたら満足するのでは、という話に終始していた。
 もちろん、彼はコーヒーが好きで、コーヒーを飲みたいのだろう。しかし、自閉症の特性から考えると、コーヒーがいつ飲めるのがよくわかっていない可能性があった。そして、それを口頭で伝えられても彼には理解できない点も考慮すべきだった。
 つまり、見通しとコミュニケーションの支援が決定的に足りなかったのである。そういうことで、彼への対応として、実物のスケジュールを取り入れ、スケジュールで示されたコップのところでコーヒーが飲める――と予定を伝えることにした。
 彼がこの実物のスケジュールを理解したとき、コーヒーは(コップで提示された)おやつの時間以外は要求することはなくなった。そして、「大好き」なスタッフへのまとわりつきもなくなった。スタッフはさみしくなったかもしれないが、見通しの手がかりがスタッフからスケジュールに変わったことで、彼の生活の質はずいぶん向上したと筆者は捉えている。
(シルバー産業新聞2021年9月10日号)

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