連載《プリズム》

ハワイ移民から150年

ハワイ移民から150年

 1860年(万延元年)、日本の遣米使節団がハワイに寄港した際に、急需したサトウキビ栽培の労働者を集めるため、カメハメハ4世から日本へ移住者を請願する親書が手渡された。(プリズム2019年1月)

 68年(明治元年)には、好待遇の宣伝に、153人の日本人がホノルルに渡った。92年にはサトウキビ労働者の7割を日本人移民で占め、1924年の排日移民法成立までに日本から約22万人がハワイに移住しているといわれている。150年を経て、長期人口減少社会に対処するため、日本は移民社会へ舵を切ろうとしている。

 どれだけの移民が必要か。国連報告書「補充移民」(2000年3月)によると、1995年に日本で最大だった15~64歳の生産年齢人口を2050年時点で維持しようとすると、総計3300万人、毎年60万人の移民を受け入れなければならないとした。これに対して、政府の人口問題審議会は「人口減少社会、未来への責任と選択」(97年10月)の中で、「外国人の受入れについては、我が国経済社会に大きな問題が生じることも懸念されることから、安易な考え方に立ってなしくずし的に行われることのないよう、正面から十分に議論すべきである」と述べた。

 介護分野の受入れは10年前の2008年7月1日発効の日・インドネシア経済連携協定(EPA)からで、介護・看護人材を送り出し、受け入れ双方の枠組みを明確にして、日本語教育を内在させる形で始まった。EPAによる海外人材はその後、フィリピン、ベトナムと続き、18年8月末時点までに5600人を超えた。「外国人受入れの諸課題と対応を、EPAの介護・看護職受入れを通じて検討する」というのが、外国人受入れに慎重な厚労省の考えだった。

 技能実習制度の滞在期間延長(17年11月)、新たな在留資格である「特定技能」(18年4月)と、日本は、EPAの十分な検証もないままに、外国人材獲得のグローバル競争に突入した。150年前にハワイをめざしたように、アジアから多くの若者が日本をめざす。

(シルバー産業新聞2019年1月10日号)

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