未来のケアマネジャー

ケアマネ進化論②/石山麗子(連載18)

ケアマネ進化論②/石山麗子(連載18)

 新型コロナウイルス(以下、「新型コロナ」という)をめぐり、世界中の人々にはそれぞれに、忘れられない悲喜こもごもの物語があるのではないか。

人と人を遠ざけるコロナが問いかけた面接の真髄

 先日、ある方からお電話を頂いた。筆者が家族支援を専門領域としていることを知ってのことだという。新型コロナ下で起きている状況について、家族の心のうちを聞いて欲しいと仰った(本紙への掲載についての許諾済)。その方の物語はこうだった。ご相談者をAさんとしよう。

 Aさんの妻は今年、施設に入所されたが直後に感染予防を理由に面会は禁じられた。施設の方からは「きちんと対応するから心配ありませんよ」と事前に丁寧に説明されているし、Aさん自身も施設を信頼している。

 とはいえ、Aさんの妻には持病(心臓病)があるし、忘れっぽいから、妻はなぜ自分が知らない場所にいるのかさえわからず、私に捨てられたと思っているんじゃないかと心配でたまらない。

 施設には電話してみたものの、忙しそうな様子なので、これ以上電話をするのは申し訳ないと感じておられる。(以前担当の居宅の)ケアマネさんに相談すると「面会できないのは、どこも同じ状況ですよ。また会えますよ」と励ましてくれた。皆さんがよくしてくださり、感謝している。けれど、Aさんの気持ちは落ち着かない。そんなときに筆者の存在を知り、思い切って電話をかけたと仰る。

 その方は更に話を続け、「何十年も連れ添ってきた妻に、このまま会えずに死ぬようなことになるのでは。今では入所させなければよかったと後悔している」とさえ仰った。口調は穏やかで、丁寧な語り口である。関係者への配慮も随所に感じられた。ゆえに、筆者は心のうちに沈む悲痛の深さを感じいった。

 なぜこの方は、もてあますほどの辛い感情にさいなまれるのか。余命宣告されているわけでもないし、妻の入所先で新型コロナが発生したわけでもない。夫がこのような気持ちになる理由は複数想定された。私なりに感じ取ったことを一つずつ言葉にして伝えた。すると「そうなんです!」と力強く肯定され、次第に声の色に明るさが見られた。物理的な問題は解決されなくとも、心の底にあったつかえが少しずつ楽になられる様子が感じられた。

 人はえてして自分の感情や身に起きていることを整理したり、表現できるとはかぎらない。むしろ自分のことほど難しい。だからこそ専門職の関与に価値がある。私たちには利用者にはもちろんのこと、家族の意をくみ取って行う、真の家族支援の専門性が求められる。

 家族支援とは、仕事と介護の両立支援、介護負担軽減としてのサービス利用や、家族に障害が疑われる場合の他機関との連絡調整だけではない。Aさんに照らし合わせれば、現に介護されてるわけではないし、Aさん自身に日常生活上の支障もない。

 それでも家族支援のニーズは発生し得る。家族には、家族であるがゆえに生じる葛藤や苦痛がある。もしケアマネジャーが家族=介護者(社会資源の一つ)の前提でみる意識をもっていたり、給付管理中心に支援は終了したと捉えるなら、ここに支援の必要性が見いだされることはない。

 緊急事態宣言下では、先のご相談者と妻とが直接手と手を取り合うような面会の実現は、事実難しいだろう。その事実を面接で伝えるだけでは不十分だ。想いを実現できないからこそ、代替策の提案と、まさに今も感じ続けているその方にとっての苦痛とは何かを捉え、面接によって緩和するという視点、技術は欠かせない。

 埼玉県は今年3月31日、我が国で初めての『埼玉県ケアラー支援条例』を公布・施行した。

 ここでいう「ケアラー」は、家族に限定せず、また援助される方の年齢にかかわらず広くとらえている。我々が抱いてきた、家族や専門職は社会資源の一つで、一定の介護に携わって当然という潜在的な意識に訴えかける。ケアラーの権利に目をむけた条例の制定は、一県の取組みという枠にとどまらない極めて重要な意義がある。

 新型コロナは人と人を遠ざける特性があることは誰もが実感するところだ。施設の面接の話だけではない。

 ケアマネジャーは、自宅を訪問するモニタリングもままならないなかで、新型コロナは、むしろケアマネジメントで行う面接の本質を我々に問いかけてきたようにみえる。アフターコロナで私たちはどう進化することができるだろうか。

 石山麗子(国際医療福祉大学大学院 教授)

(シルバー産業新聞2020年6月10日号)

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