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大阪・関西万博 介護テクノロジーも世界に発信

大阪・関西万博では、様々なテーマでセミナーやシンポジウム、期間限定展示などを展開する「テーマウィーク」を行っている。6月下旬からの約2週間は「健康とウェルビーイング」をテーマに、最先端医療や健康増進など幅広い内容の催しが開かれた。その中で、最先端の医療・ヘルスケア関連製品などを体験できるイベント「HEALTH DESIGN」も開催。最新の介護テクノロジーや障がい者支援機器、認知症体験・啓発など様々な展示が行われ、多くの来場者で賑わった。
15年後を見据えた体験展示
「EXPOメッセ」で開かれたHEALTH DESIGNでは、テーマごとにエリア分けし、展示が繰り広げられた。
「介護ロボット等テクノロジーの普及」エリアでは、厚働省が公募し採択された8社の製品・サービスを展示。36歳と63歳の2人の主人公が、現在から15年後までの間に、親の介護や勤務先の介護施設などで課題に直面、それぞれで介護テクノロジーが解決に導く──というストーリーに沿って展示された。
ここでは、酒井医療の特殊浴槽「シャワーポッド アラエル」やコニカミノルタの見守りシステム「HitomeQ ケアサポート」、オージー技研の歩行アシスト機器「Physibo Walk(フィジボウォーク)」──などを映像とともに展示。
居室内でトイレなどへ自立移動できる立位型移動支援ロボットには、来場者が実際に乗ることもできた。
経産省による「次世代医療機器等体験コーナー」でも手術支援ロボットなどのほか、移乗支援ロボットや排泄予測支援デバイスなどを展示。タレントの野々村真さんと擬似会話できるシステムも人気を集めた。
「介護ロボット等テクノロジーの普及」エリアでは、厚働省が公募し採択された8社の製品・サービスを展示。36歳と63歳の2人の主人公が、現在から15年後までの間に、親の介護や勤務先の介護施設などで課題に直面、それぞれで介護テクノロジーが解決に導く──というストーリーに沿って展示された。
ここでは、酒井医療の特殊浴槽「シャワーポッド アラエル」やコニカミノルタの見守りシステム「HitomeQ ケアサポート」、オージー技研の歩行アシスト機器「Physibo Walk(フィジボウォーク)」──などを映像とともに展示。
居室内でトイレなどへ自立移動できる立位型移動支援ロボットには、来場者が実際に乗ることもできた。
経産省による「次世代医療機器等体験コーナー」でも手術支援ロボットなどのほか、移乗支援ロボットや排泄予測支援デバイスなどを展示。タレントの野々村真さんと擬似会話できるシステムも人気を集めた。

▽左写真:パラマウントベッドと東北大学が開発を進める「立位型移動支援ロボットMoby」。人や障害物を避けて屋内を移動できる ▽右写真:介護施設などでの活用を想定する「音声対話型デジタルヒューマン『AI野々村真』」
遊びの装置が福祉用具のスイッチに
国立障害者リハビリテーションセンターは、ICTで障がいのある人の生活を支援する技術を展示。モニターを見ながらロボットを操作することで、離れた場所での作業ができる遠隔就労支援システムや、ヘッドセットの視線入力で操作できるスマートボールなどが体験できた。
同センター研究所シニアフェローの井上剛伸さんは「遊びの機器が障がいのある人の生活支援に役立つ」と話す。
同センター研究所シニアフェローの井上剛伸さんは「遊びの機器が障がいのある人の生活支援に役立つ」と話す。

瞳の動きをスイッチ操作に置き換えてスマートボールをプレイ。手が不自由でもスイッチを動かせる
新しい認知症観をめざして
「社会は認知症とどう向き合ってきたか」。古代から24年1月の認知症基本法施行まで、オレンジ基調の円形パネルにエポックとなる出来事などが記され、未来のヘルスケアの課題としての認知症が提示される。
年表には時代を築いてきた3人の姿も描かれた。
元・認知症介護研究・研修東京センターの医師・本間昭さんは「70年代は介護サービスが存在せず、家庭に認知症の人が閉じ込められていた」と語る。04年に「痴呆」の呼称が認知症へ変わり、社会の向き合い方が大きく変化。「かつては重症化してから受診することが多かったが、今では軽度の段階で受診する人が増えた」という。
84年に日本初の認知症専門医療機関「きのこエスポアール病院」を開設した佐々木健医師は「認知症の人の行動の背景には人生の様々な出来事がある」との気づきを得て、そこからユニットケアなど生活に根ざしたケアに取り組んできた。
80年代から身体拘束廃止に取り組んできた看護師・田中とも江さんは「日本の認知症ケアは、いまだ継続的な仕組みとして確立されていない。医療・介護の組織のトップは人材育成にもっと取り組むべき」と訴える。
年表には時代を築いてきた3人の姿も描かれた。
元・認知症介護研究・研修東京センターの医師・本間昭さんは「70年代は介護サービスが存在せず、家庭に認知症の人が閉じ込められていた」と語る。04年に「痴呆」の呼称が認知症へ変わり、社会の向き合い方が大きく変化。「かつては重症化してから受診することが多かったが、今では軽度の段階で受診する人が増えた」という。
84年に日本初の認知症専門医療機関「きのこエスポアール病院」を開設した佐々木健医師は「認知症の人の行動の背景には人生の様々な出来事がある」との気づきを得て、そこからユニットケアなど生活に根ざしたケアに取り組んできた。
80年代から身体拘束廃止に取り組んできた看護師・田中とも江さんは「日本の認知症ケアは、いまだ継続的な仕組みとして確立されていない。医療・介護の組織のトップは人材育成にもっと取り組むべき」と訴える。

▽左写真:「認知症になっても、自分らしく希望を持って暮らせる社会を実現したい」と作表にあたった大阪公立大学の中西亜紀さん(右)と、児童・民生委員の定幸生さん ▽右写真:「認知症本人の希望大使は7人任命された」と厚労省老健局認知症施策・地域介護推進課の梅本裕司さん(左)
(シルバー産業新聞2025年7月10日号)