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危機一髪の3.11 増設工事引き渡し前日 生きるために暮らしと尊厳を守る

危機一髪の3.11 増設工事引き渡し前日 生きるために暮らしと尊厳を守る

 病院を母体とする和仁福祉会(石巻市、斉藤仁一理事長)には4特養がある。3.11当時、その一つ仁風園の施設長だった竹中也寸志さん(写真右)は、前日まで多数の児童が亡くなった大川小学校のあった周辺で地域活動を行っていた。当時、石巻市の人口16万2822人、死者・行方不明4006人、避難者2272人、避難所64カ所に及んだと竹中さんは記録している。

変わったまちの風景

 津波で壊滅した地域に前日いた。「1日ずれていたら、私自身も津波にさらわれていたに違いない」。現在、別の特養「和香園」施設長を務める竹中也寸志さんは、だれもが危機一髪だったと話した。家が流され、仮設住宅で車いす生活だった実父は、母の介護を受けながら、家の再建を待ち望んでいた。家ができてしばらくだったが生活してくれたことが子として何より良かったと思った。

 職員家族に犠牲者がでた。「港や堤防から見るまちは風景がすっかり変わってしまった」。このまちで生まれ育ち、62歳になり、竹中さんは当時を振り返る。

 3.11は施設の増設工事引き渡しの前日だった。特養「仁風園」は、ユニット型個室40床の増築を終え、翌12日に県からの完成検査を受けるはずだった。検査は5月にずれたが、工事関係者事務所がまだ残っていたのが幸いした。東京の本部から日本海周りで支援物資が送られてきた。

 仁風園に災害対策本部が設置され、竹中氏が本部長についた。デイサービス利用者22人のうち13人が家族との連絡がつかず、道路が寸断されたため、施設が臨時の避難所となる。ライフラインが寸断。毛布、サーチライト、ローソク、石油ストーブを準備。食事は1日2食(10時半と16時)とした。自宅の被災を免れた職員は原則通勤とし、被災した職員らは施設で宿泊した。3月末には、避難先が分からない人もいたが、職員自身は全員の無事が確認された。

川の水で洗濯

 震災3日目、入居者、利用者の洗濯物がたまり始めていた。雪がちらつく中、男性職員が川から水を汲み、薪で湯を沸かし、物干し場を作った。女性職員は縁日の金魚すくい用のプールで洗濯をした。勤務表を作成して、宿泊している職員に休日を与え、自宅の被災状況や家族の安否を確認に向かった。

 災害対策本部は3月末で閉めるまで被災後の対応に終始した。その間、緊急ショートを受け入れたり、4月には地域の被災高齢者の送迎付きの入浴サービスも行った。

 竹中さんは、3.11の学びとして、生きるために暮らしと尊厳を守ること、災害に強い施設づくり、最低14日分の食料品の備蓄、月1回の避難訓練、自家発電装置を挙げている。

 そのうえで、「指示をきちっと出すこと、同じ方向をみて」とともに、「現場の判断が生命を守る」と訴えた。
日和山からの風景。喪失した風景から復興が進む

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(シルバー産業新聞2021年4月10日号)

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