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地域をつなぐ福祉避難所 災害時は地域包括支援センター

地域をつなぐ福祉避難所 災害時は地域包括支援センター

 2004年の新潟県中越地震の時、災害時の要配慮高齢者のために初めて福祉避難所が設置された。3・11の時、折腹実己子さんが施設長を務めていた特養が福祉避難所になった。地域をつなぐ活動は高く評価された。

存在と役割を知らせる

 現在、宮城県社会福祉士会会長の折腹さんは、災害時には地域と結ぶ福祉避難所の役割が大きいと話した。3・11当時、折腹さんは、特養「パルシア」(仙台市宮城野区)の施設長。施設は、仙台市と福祉避難所の協定を結んだ時に、町内会長や民生委員、地区社協ら地域の人たちに、災害時には介護が必要な高齢者を引き受けると伝えていた。

 震災時、指定避難所になっていた隣接の小学校から要援護高齢者が地域の人に連れられ施設へ来た。施設の地域交流スペースに、持参の布団を敷いて、休んでもらった。最大34人を受け入れた。

 被災した2世帯の人たちが家に押し寄せために、日頃独居で過ごしていた認知症高齢者がパニックになった。その高齢者は、施設の6畳和室で家族といっしょに生活をしてもらったところ、落ち着きを取り戻した。

10日間ともに生活する

 当時、仙台市老施協で災害時の行政連絡調整役を務めていたが、停電と電話線切断で、その役割は思うように果たせなかった。施設で入居者、職員と家族、地域の要援護の人たちともに折腹さんは10日間一緒に生活した。長い人で1カ月福祉避難所となった施設の生活をした人もいたという。

 良かったのは、地域で「福祉避難所です」と日頃から公言していたことで、施設には介護が必要な人が来てもらえたことだ。福祉避難所であるのを地域に伝えられず、一般の人たちがどっと押し寄せ、福祉避難所として機能しなかった施設も少なくなかった。

 「私たちの場合は、地域の人たちが福祉避難所での対応が必要だと思う人を選んで連れてきてくれた。来た人すべてを受け入れると、入居者のケアも滞り、福祉避難所として役割が果たせなくなる。実際、市内の施設では、来る人を押しとどめられず、200人にもなりパンクしたところもありました」

 指定避難所は一般の人たちの避難所であるのに対して、福祉避難所は要援護高齢者や障がい者に対応する。「福祉避難所の対象者は行政が措置するのが本来ですが、3・11の時はまったく行政が機能しなった」と話す。「私は、避難所に避難する人の中に、福祉避難所での対応が必要な人がいないか、職員といっしょに見に行きました。たくさん人がいるのに、しーんとして真っ暗の中に石油ストーブの灯りだけがあったのが印象的でした。行政職員がただ座ったままであったのは気にかかりました」と振り返る。

地域包括 力の発揮どころ

 地域包括支援センターであったことで、地域とのつながりが深まっていた。2006年、折腹さんの施設では地域包括支援センターを受託。主任ケアマネ、保健師、社会福祉士3専門職種が機能を活かせば大きな力になる。折腹さんは、仙台市の地域包括支援センター(現在52カ所)協議会の会長もしてきた。

 折腹さんたちの活動は、福祉避難所の成功事例として取り上げられた。講演に呼ばれ、「災害の時には、行政任せにはできない。地域の人たちを頼りに、自分たちで動けるようにしなければならない」と話してきた。

 今、仙台市はHPで福祉避難所を公表しているが、3・11当時は公表していなかった。市は公表によって大勢の人が福祉避難所に押し寄せて収拾がつかなくなるのを心配した。宮城県沖地震がいつ起きても不思議でないとの思いから、震災時の炊き出しも想定し、施設の中庭に小屋を建て防災用具や食料を詰め込んで備えた。訓練も繰り返した。

 折腹さんは講演で「行動を起こせるために、どこにだれがいるのか、何があるのか。はっきり分かるようにしておく。施設は、災害時には建物も人材も社会資源として活用する」と話す。
21年改正では防災が介護保険全事業所のテーマになり、地域とのネットワーク、行政とのつながり、地域包括支援センターとの連携が重要になっている。

 震災の後、市などとつながる緊急通報電話が、施設と、小学校、コミュニティ施設の3カ所に設置された。施設でも防災意識が一段と高まり、7人が防災士になった。

 災害に対する基本的知識の習得や、効率よい動き、自分の身を守る、家族を守る、入居者を守ることを、きちんと学んだ。地域などで防災訓練をする時は防災士に声をかけてもらっている。

(シルバー産業新聞2021年4月10日号)

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