インタビュー・座談会

「母を安心させてあげたい」 岩佐まり/松本琢磨/市川洌(1)

「母を安心させてあげたい」 岩佐まり/松本琢磨/市川洌(1)

 フリーアナウンサーの岩佐まりさんは29歳の若さで、アルツハイマー型認知症の母親を引き取り、一人で在宅介護を行っている。厚生労働省の松本琢麿さん、福祉技術研究所の市川洌さんとともに、認知症の人と向き合うポイント、介護負担を軽減する福祉用具の使い方について語ってもらった。

 四部に分けて内容を掲載します。
  ■(1)「母を安心させてあげたい」(本ページ)
  (2)「家族会に出て話をする」 (リンク先)
  (3)「福祉用具とリハビリの大切さ」 (リンク先)
  (4)「介護のモチベーション」 (リンク先)

 仕事をしながらの介護生活。初めは衝突することも度々で、服を引っ張り合う大げんかになったこともあった。ただ、「母の気持ちがわかるようになり、少しずつ余裕が持てるようになった」という。
 認知症の人の介護はまるで「謎解きゲーム」のようだと岩佐さん。朝起きてTシャツを着せられた扇風機を目のあたりにしても、「なぜこんなことをしたのか」と母親の思考を推理する。

50代で「軽度認知障害」に

 松本(司会) 本日の進行を務めます松本琢麿です。今年4月より、厚生労働省老健局高齢者支援課で福祉用具・住宅改修指導官に就いております。それまでは、神奈川県総合リハビリテーションセンターで、作業療法士として働いており、特に重度四肢麻痺や高次脳機能障害の方などに多く関わってまいりました。
 それではおふたりからも自己紹介をお願いいたします。
 岩佐 岩佐まりです。アナウンサーとして活動しながら、アルツハイマー型認知症の母を在宅で介護しています。
 松本 ありがとうございます。岩佐さんは非常に若くして、お母さまの介護をされているのですね。

 岩佐 はい。私は18歳の時に、地元の大阪から上京してきたのですが、ちょうどその頃から、母にもの忘れの兆候が現れ始めました。初めのうちは、些細なものでしたが、次第についさっき私に電話をかけたことも忘れるようになりました。当時、母もまだ55歳と若かったので、私も「少し変だな」と思い、母を連れて病院をあちこちまわりました。どこの病院でも病名がわからず、ようやくたどり着いた「もの忘れ外来」で、軽度認知障害(MCI)だと診断されました。
 市川 福祉技術研究所の市川洌(きよし)です。もともとはエンジニアで、福祉機器の研究開発に大学在籍時から携わってきました。2001年に独立して、全国の介護施設などを対象に、福祉用具の活用法についてのコンサルティングなどを行っています。また岩佐さんと同じく、15年ほど前に妻の母がアルツハイマー型認知症を発症し、在宅で介護をしておりました。妻の頑張りで、今年初めに自宅で看取ることができました。
 岩佐 まり さん

 岩佐 まり さん

「母の思いや愛情が、今の私の介護の活力につながっているのだと思います」
(いわさ・まり)大阪府出身。フリーアナウンサーとして、ケーブルテレビのキャスターやネットチャンネルの司会を務める。55歳の若さでアルツハイマーを患った母を2013年よりシングル介護中。介護の日々を綴ったブログ「若年性アルツハイマーの母と生きる」は、介護で奮闘する方々の間で共感を呼び、月間総アクセス数300万PVを超える人気ブログとなる。

29歳で母親を引き取る決心

 松本 岩佐さんがお母さまを東京に引き取り、介護されるようになったきっかけは何だったのでしょう。

 岩佐 父はもの忘れをしてしまう母に対して、「なぜこんなことができないんだ!」と毎日、怒りをぶつけていました。父には認知症になった母を受け入れることが難しかったのだと思います。私も未だに、以前の母に会いたいと思うことがありますし、その気持ちは理解できます。ただ、父に怒鳴られ、どんどん萎縮していく母の姿をみて、「母を安心させてあげたい」と、実家から引き取る決心をしました。今から5年ほど前。母は64歳、私が29歳の時でした。
 当時、私はケーブルテレビのキャスターを務めていて、フリーといっても一般的な会社員と変わらない働き方をしていました。平日はデイサービスに母を送ってから出社し、仕事が終わると迎えに行き、母と一緒に自宅へ帰ります。
 松本 デイサービスを利用しているのですね。それでも慣れないうちは、仕事と介護の両立は大変だったのではありませんか。

 岩佐 はい。買い物をして、料理も作ってと、私なりに精一杯やっていたつもりでしたが、「ご飯がおいしくない」「お風呂に入りたくない」と拒否され、その頃から母は暴言や暴力も出るようになっていました。私も「これだけ一生懸命やっているのに、どうして理解してくれないの」という思いを抱え、親子で何度もぶつかりました。服を引っ張りあったり、大げんかの末に母が家を飛び出してしまったりしたこともありました。今、振り返れば、慣れない生活に余裕がなく、母の不安に寄り添うことができていなかったのです。

岩佐さん「母の思いや愛情が、今の私の介護の活力につながっているのだと思います」


(福祉用具の日しんぶん2018年10月1日号)

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