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合気道 開祖 植芝盛平 (和歌山県田辺市)
世界約130カ国に160万人の愛好家がいる合気道。その開祖、植芝盛平は和歌山県田辺市の生まれ。ゆかりの地を訪ねた。(ねんりんピック大会2019年in和歌山)
語り継がれる豪傑伝説
植芝盛平(明治16年―昭和44年)。あらゆる武術に精通し、その土台を元に「合気道」という新たな武術を生み出した開祖である。
「普段は物腰柔らかな好々爺ですが、道場に入ると雰囲気は一変。太い芯が一本入ったかのように背筋が伸び、表情が引き締まっていました」と、生前直接指導を受けていた五味田聖二さん(今回の選手インタビュー五味田由紀子さんの夫)は当時をふりかえる。五味田さんは昭和28年、12歳の時に初めて植芝翁に出会い、合気道に触れ、今では伝統ある田辺道場の道場長を務める。
今でも弟子たちからは尊敬の念を込めて「大先生」と呼ばれている植芝翁。五味田さんが出会ったときに、160cmに満たない体で大男を投げ飛ばす様は圧巻だったそうだ。「力士と相対した際にも全くひるむ様子無く、瞬く間に倒してしまったと聞いています」と五味田さん。
「武」が行き着いた先「合気道」
「合気道」として確立したのは大正11年。植芝翁が京都の綾部に住んでいる時だった。「時には槍術で有名な奈良の宝蔵院でも修行を積んだそうです。様々な武道を学ぶ中で合気道の基礎を固めていき、綾部で『合気武道』を広めていったのが始まりと聞いています」(五味田さん)。
豪傑を表す伝説が他にも数多くあり、出兵先では銃弾の軌道を肉眼で見切っていたという。「非常に勘が鋭かったことがその逸話につながっているようです。いつも相手の動きを見切って先回りしていました」と五味田さんは話す。
他にも、大人7人がかりでも抜けなかった松の木を一人で引き抜いてしまった話や、相手の考えていることが話さずともわかっていたことなどが語り継がれている。
他にも、大人7人がかりでも抜けなかった松の木を一人で引き抜いてしまった話や、相手の考えていることが話さずともわかっていたことなどが語り継がれている。
「合気道を初めて66年がたちますが、大先生の域は唯一無二であると実感する日々です。少しでも近づけるよう今後も鍛錬に励みたいと思います」と五味田さんは話した。
(ねんりんピック新聞2019in和歌山)