連載《プリズム》

再び海に出られる日まで

再び海に出られる日まで

 花巻から釜石まで90.2kmを走るJR釜石線。宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜」のモデルとされる岩手軽便鉄道がその前身。駅には、エスペランス語の愛称がつけられている。4月6日には、震災で止まっていた中間点の遠野から先の運行が再開された。(プリズム2011年6月)

 5月下旬、最近はボランティアの利用が多いという新花巻駅近くの民宿を出て、早朝の釜石行きのジィーゼル車に乗った。通勤通学客などを乗り降りさせて、2時間で終点の釜石駅に着いた。駅傍らの海産物センターに入ると、中に小さな食堂があった。「ならんでいる魚介類は、みな他所のもの。早く地の魚を」と、店の主人は願った。そこへ70歳前後と覚しき女性客ひとりが入ってきて、朝食を注文した。夫と家を流されて、親戚の家に住んでいるのだと、静かに話した。

 アーケード街はほとんど人通りがなく、左右の建物は外観こそ残った物が多かったが、建物の中は空洞であったり、がれきがうず高く積み上がっている。その間をがれき処理の大型トラックが行き交っている。本来なら、海岸づたいに宮古まで北上するJR山田線があるが、線路が分断されている。電車には乗れなかったが、駅でいえば、釜石を出て、両石、鵜住居(うのすまい)と続く。その両駅の東方に突き出して、被害が大きかった箱崎半島がある。店で会った女性はここで被災したという。乗ったタクシーの運転手さんも家を流された。「まだ私は、家族がいて仕事がある」と言った。

 住み慣れた町々が削り取られた。津波が襲った沿岸部のつめあとは痛々しい。取材先は、鵜住居と大槌町吉里吉里(きりきり)の高齢者施設だったが、そこで会った人々の辛抱強さにも、記者はただ頭が下がる思いだった。帰り、釜石駅に着くと、駅舎前に新日鐵釜石の建屋が目に飛び込んできた。社有地の一角に、がれきが整然と山となっている。ラグビーが強い会社だ。その合い言葉、One for all All for oneを、また思い出した。釜石駅の愛称は、ラ・オツェアーノ(大洋)。「ラ」はラ・メール(海)の「ラ」だろう。海に生かされ、海に奪われたいのちと生活。その母なる海に出て、早く魚介店が周辺の海で捕れた鮮魚で埋まることを祈ろう。ひとりひとりの力を結集させたい。復興の折には、自然にあふれる釜石線、山田線の駅々を訪ねて欲しい。

 【写真】釜石駅前の仮説店舗(本紙撮影)

 (シルバー産業新聞2011年6月10日号)

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