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「やまゆり園再生基本構想」を考える②/中山清司(連載161)

「やまゆり園再生基本構想」を考える②/中山清司(連載161)

 本稿では、いわゆる「相模原障害者施設殺傷事件」発生後の経過について検討する。
 事件の翌年、2017年2月に神奈川県障害者施策審議会「津久井やまゆり園再生基本構想策定に関する部会」(以下、部会)が設置され、それを受けて同年8月に神奈川県は「津久井やまゆり園再生基本構想」を策定した。その審議過程と再生基本構想を確認することで、我が国の知的障害者入所施設が抱える課題と今後の方向性を整理したい。

施設かGHか、地域移行か 

 津久井やまゆり園は1964年に神奈川県が設置した県立施設だが、2005年より指定管理者制に基づき社会福祉法人が運営している。この間、施設・設備の老朽化を受け、1990年代に建て替え工事がおこなわれた。事件当時、入所者は19歳から75歳の知的障害者149名。障害支援区分は全員が4~6段階と重度で、長期に入所している方がほとんどだった。
 事件後、施設をどのように再生・再建するか、この部会で精力的に議論された。ここで大きなテーマとなったのが、新しい施設を従来のような大規模な入所施設にするのか、地域の中のグループホームのスタイルにしていくのかという判断、あるいは地域移行をどのように考えるかという点だ。
 県は当初、津久井やまゆり園の敷地内での建て替えを表明していたが、福祉団体や専門家らから反対意見が続出したのだ。2017年1月、部会設置直前に開かれた公聴会は次のようなものだった。
 県は現在地での建て替えを「再生のシンボル」としているが、出席者からは「今さら大規模施設はいらない」「費用を障がい者の地域移行のために使ってほしい」などと否定的な意見が相次いだ。公聴会で大熊由紀子・国際医療福祉大学大学院教授は「人里離れたところに大きな施設を造ったりしたことなどに事件の根っこはある」と指摘。「大型施設は時代錯誤」として、グループホームなど障がい者の地域生活への移行を促進する小規模施設の設置を求めた。(朝日新聞2017年1月11日付より)
 また、部会設置当初、ある出席委員は次のように発言している。部会でも、施設かグループホームかという問題に直面していた雰囲気がよくわかる。
 「私の意見は、場所をどうするかという検討をここでするのではない、つまり施設入所か、グループホームか、あるいは単身自立生活かといった、箱の形態を検討する前に、まずご本人の意向、どういうことを楽しいと感じるのか、どんな嗜好や希望をもっているのか、一方的に話を聴くのではなく、インターラクティブに、相互にやり取りしながら見出していく。その結果、どういう場が良いかという話になっていくと思います」(2019年3月8日第2回部会、審議結果)
 1981年国際障害者年を契機に、「障がい者も施設ではなく、地域で暮らすべきだ」という考えが広がる。筆者は、1990年代後半、重度の自閉症の人たちが暮らすグループホームをいくつか立ち上げ、現場スタッフとして住み込みで働いた経験がある。当時の宮城県知事が県内すべての知的障害者入所施設を解体する「脱施設」を表明し、国も施設入所中心からグループホーム移行へと大きく施策を転換したころのことだ。
 しかし、早くも2006年、当の宮城県では新しい知事が「(施設の解体は)物理的に難しいのではないか」と方針を変更、入所施設はその後も存続していく。施設かグループホームか、施設からの地域移行をどうするという議論と試行錯誤は綿々と続き、そして津久井やまゆり園の再生・再建にあたっても、そこが難問として立ちあがっていたのだった。
(シルバー産業新聞2020年9月10日)

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