地域力発見
子のメンタルサポートと親の命のサポートの狭間で
子どもや若い世代が家族の介護や世話に追われている――。地域包括支援センターの職員は、高齢者支援の陰に隠れている家族の問題を挙げる。今回から、ダブルケアラーやヤングケアラー支援に動き出した地域や行政の取組みを紹介したい。
ヤングケアラーの支援については、今国会の6月5日、初めて法制化された。(「子ども・若者育成支援推進法」改正法)。ヤングケアラーは「家族の介護その他の日常生活上の世話を過度に行っていると認められる子ども・若者」と定義され、18歳以上も対象となり、国や自治体が支援することが明記された。
支援については、介護・医療、教育、職場などの連携が不可欠で、縦割り行政を超えた支援が必要となる。地域の相談窓口をどう設置するかなど、未知の課題も多い。しかし、まずは、ケアラーの実態や支援の取組みなどを知る必要がある。
ダブルケアはこんなに大変
東京都杉並区で、ダブルケア問題に取り組むNPO法人「こだまの集い」は、代表の室津瞳さんの体験をきっかけに、今から5年前に始まった。
室津さんは、二人のお子さんを育てながら、同時に両親の介護を担ってきた。二つのケアを担うことからダブルケアラーと呼ばれる。
しかも、妊娠している時に父親が入退院を繰り返すようになり、介護が始まったそうだ。そして、子どもが3才の時に、父親が末期ガンになり、終末期には身体介護も必要になった。その頃、第2子を身ごもり、その上、キーパーソンだった母親も入院。妊娠、子育て、父親の終末期ケア、母親の入院手術が重なった。
また、夫婦ともにフルタイムの勤務。夫の助けも得て、実家まで車で1時間の距離を通った。「身体的にもキツかった」と室津さん。そして、「子どものメンタルサポートと両親の命のサポートと、二つの異なる種類のケアが同時に起きたため、それを調整することが一番難しかった」と明かした。
子どもは親を理解
子どもは一時期、保育園に行けない時期や、遊びにも行けない時期もあった。メンタルが落ち、イライラした時もあったという。最近、6年前を振り返り「9年間生きてきて、一番大変な時期だった」と室津さんに明かしたという。室津さんは、子供なりに我慢し、大きなものを抱えていたのだと思い知った。しかし、「私の苦労の甲斐があって、お母さんの今がある」と子どもが言った言葉に、とても驚いたという。
そうした経験を踏まえ、室津さんはNPO法人を立ち上げて、ダブルケアラーを支えている。自分と同じように困っている人の支援をしている様子を見て、子どもはその意味に気付き、自分も我慢して協力してよかったと思ったのだ。
子どもには室津さんの背中が頼もしいものに映ったのだろう。子どもなりに苦しんだ体験から、人をケアする意味を知り、我が身や人を恨まず、今度は人の役に立ちたいという思いは尊い。
家族の問題を紐解く
ダブルケアラーが大変なあまり、子どもに頼り過ぎるとヤングケアラーを生んでしまう。そうならないためには、家族全体への支援が欠かせない。そのためには、高齢者支援に入っている包括やケアマネやヘルパーらに期待がかかる。
NPOの副代表を務める森安みかさん(一般社団法人Geny理事。保育、居宅介護支援、訪問看護事業)は、ダブルケアに関するケアマネジャー向けの研修を行政から頼まれることが増えてきたと話す。「まず、この人がダブルケアラーであるということに気付いて欲しい。今やっている業務の中で、ダブルケアになっていると意識するだけで変わってくる」と説明する。高齢者支援の中で、少しずつ被っているところや、どこまで手を出せるのかを考えていく。それを地域ケア会議の中で、みんなで考えていく大切さを指摘しているそうだ。
保育園を経営している森安さんは、潜在的なものも含めて、年々ダブルケアラーが増えていると感じている。要因としては、初婚年齢、初産年齢とも上がり、子育てが終わる前に親の介護が始まってしまうという世の中の変化がある。
子育て中に我が子の発達障がいが分かったり、親の突然の介護も入ってくる。複雑な事情が絡み合うのが現代の家族。それを一つひとつ紐解いて、行政と企業、地域が総出でケアラーの負担を減らさないといけない。
写真は、杉並区内の「カフェミスポンヌ」(オーナー鷹尾めぐみ)で開かれた「ダブルケアカフェ」の参加者ら。次回はその様子なども紹介したい。
支援については、介護・医療、教育、職場などの連携が不可欠で、縦割り行政を超えた支援が必要となる。地域の相談窓口をどう設置するかなど、未知の課題も多い。しかし、まずは、ケアラーの実態や支援の取組みなどを知る必要がある。
ダブルケアはこんなに大変
東京都杉並区で、ダブルケア問題に取り組むNPO法人「こだまの集い」は、代表の室津瞳さんの体験をきっかけに、今から5年前に始まった。
室津さんは、二人のお子さんを育てながら、同時に両親の介護を担ってきた。二つのケアを担うことからダブルケアラーと呼ばれる。
しかも、妊娠している時に父親が入退院を繰り返すようになり、介護が始まったそうだ。そして、子どもが3才の時に、父親が末期ガンになり、終末期には身体介護も必要になった。その頃、第2子を身ごもり、その上、キーパーソンだった母親も入院。妊娠、子育て、父親の終末期ケア、母親の入院手術が重なった。
また、夫婦ともにフルタイムの勤務。夫の助けも得て、実家まで車で1時間の距離を通った。「身体的にもキツかった」と室津さん。そして、「子どものメンタルサポートと両親の命のサポートと、二つの異なる種類のケアが同時に起きたため、それを調整することが一番難しかった」と明かした。
子どもは親を理解
子どもは一時期、保育園に行けない時期や、遊びにも行けない時期もあった。メンタルが落ち、イライラした時もあったという。最近、6年前を振り返り「9年間生きてきて、一番大変な時期だった」と室津さんに明かしたという。室津さんは、子供なりに我慢し、大きなものを抱えていたのだと思い知った。しかし、「私の苦労の甲斐があって、お母さんの今がある」と子どもが言った言葉に、とても驚いたという。
そうした経験を踏まえ、室津さんはNPO法人を立ち上げて、ダブルケアラーを支えている。自分と同じように困っている人の支援をしている様子を見て、子どもはその意味に気付き、自分も我慢して協力してよかったと思ったのだ。
子どもには室津さんの背中が頼もしいものに映ったのだろう。子どもなりに苦しんだ体験から、人をケアする意味を知り、我が身や人を恨まず、今度は人の役に立ちたいという思いは尊い。
家族の問題を紐解く
ダブルケアラーが大変なあまり、子どもに頼り過ぎるとヤングケアラーを生んでしまう。そうならないためには、家族全体への支援が欠かせない。そのためには、高齢者支援に入っている包括やケアマネやヘルパーらに期待がかかる。
NPOの副代表を務める森安みかさん(一般社団法人Geny理事。保育、居宅介護支援、訪問看護事業)は、ダブルケアに関するケアマネジャー向けの研修を行政から頼まれることが増えてきたと話す。「まず、この人がダブルケアラーであるということに気付いて欲しい。今やっている業務の中で、ダブルケアになっていると意識するだけで変わってくる」と説明する。高齢者支援の中で、少しずつ被っているところや、どこまで手を出せるのかを考えていく。それを地域ケア会議の中で、みんなで考えていく大切さを指摘しているそうだ。
保育園を経営している森安さんは、潜在的なものも含めて、年々ダブルケアラーが増えていると感じている。要因としては、初婚年齢、初産年齢とも上がり、子育てが終わる前に親の介護が始まってしまうという世の中の変化がある。
子育て中に我が子の発達障がいが分かったり、親の突然の介護も入ってくる。複雑な事情が絡み合うのが現代の家族。それを一つひとつ紐解いて、行政と企業、地域が総出でケアラーの負担を減らさないといけない。
写真は、杉並区内の「カフェミスポンヌ」(オーナー鷹尾めぐみ)で開かれた「ダブルケアカフェ」の参加者ら。次回はその様子なども紹介したい。