インタビュー・座談会

「人生を豊かにする」介護の魅力 柴田拓己/田尻久美子/森近恵梨子(前半)

「人生を豊かにする」介護の魅力 柴田拓己/田尻久美子/森近恵梨子(前半)

 11月11日の「介護の日」を記念し、特別座談会を開催しました。テーマは「私たちが支える介護の現場」。介護の仕事のやりがいや魅力、人手不足の問題に対して、どのような工夫や対策が必要か、語っていただきました。参加者の話し合いから出てきたのは、「その人の人生をより豊かにできる」という介護の魅力でした。

「介護の日」特別座談会 開催!

厚生労働省の福祉人材確保対策室長の柴田拓己さん、介護事業を経営する田尻久美子さん、介護従事者の森近恵梨子さんに集まっていただきました。

 柴田 本日の司会を務めます厚生労働省の柴田です。昨年4月から福祉人材確保対策室長を務めています。厚生労働省では、介護についての理解や認識を深めてもらおうと、2008年から11月11日を「介護の日」として定め、その前後2週間を福祉人材確保重点実施期間として、国、地方公共団体、関係機関・団体が連携し、全国各地で介護にまつわる様々な啓発活動を実施しています。
 本日は介護現場で活躍するお二人に、介護の仕事のやりがいや魅力などについてお聞きしたいと思います。
 田尻 東京都大田区で在宅介護サービスを提供する会社を経営しております、田尻と申します。ヘルパーを派遣する訪問介護や居宅介護支援、福祉用具のレンタルサービスなどのほか、少し変わったところでは美容師が在籍しており、訪問美容なども提供しています。最近では介護を提供するだけではなく、「地域の暮らしを支えたい」との思いから、子育て世代のママ達に向けた産前産後サービスや、障がいをお持ちの方向けのサービスなどにも取り組んでいます。本日はよろしくお願いします。
 森近 東京都文京区にある株式会社ケアワーク弥生で勤務しています森近です。大学生の頃から介護の業界でアルバイトをしていて、その期間を含めると介護職歴7年目になります。大学時代に介護の魅力を多くの人に知ってもらうための活動などもしていて、介護や福祉の情報を発信するフリーペーパーの発行や、中高生などの学生を相手に介護の仕事について伝える活動などもしてきました。
 現在は介護サービスに従事する傍ら、初任者研修の講師や社会福祉士・介護福祉士の専門学校で講師なども務めています。

一つひとつの支援が社会の基盤に

 柴田 まず初めに、お二人はなぜ介護の仕事を選ばれたのかをお聞かせ下さい。
 田尻 私は大学を卒業してからIT企業に就職し、7年半ほど働いていました。介護業界に進むことになったのは、母を亡くしたことがきっかけです。私が24歳の時に、母が膠原病を患い、在宅酸素などもしながら、入退院を繰り返す生活を送っていました。
 当時は介護に関する知識もなく、私自身、社会人としての生活に精一杯で、十分な看病が行えませんでした。その後、母が48歳で亡くなってしまい、何もできなかったという後悔が強く残りました。同じような境遇の人の役に立ちたいとの思いが強くなり、資格も持たずに大手の介護企業に飛び込みました。
 入社した会社では人事部に配属され、日々、新卒の方の面接などを担当しました。当時は介護保険制度の創設期で、有資格者を採用すれば、その分だけ会社の利益が上がるような時代で、できるだけ多くの人を採用することがミッションでした。
 ところが、現場を見に行くと、面接時にやる気をみなぎらせていたはずの社員が、何人も辞めている現実を目の当たりし、愕然としました。そこで、まずは現場を知らなければいけないと思い、ヘルパーの資格を取得し、現場経験を積んだ後、紆余曲折を経て、自分で会社を立ち上げました。
 柴田 自ら理想となる会社をつくられたのですね。森近さんはいかがでしょうか。
 森近 大学に入学した当初は、自分が介護の現場で仕事をするとは考えていませんでした。当時は大手介護事業者による不正事件などもあり、メディアで介護の仕事の悪いイメージばかりが伝えられ、「やりがいなさそう、きつそう」と思っていました。
 私自身は社会を変える仕事がしたくて、真剣に政治家になろうと志して法学部を受験したのですが、結果として、社会政策も勉強できる社会福祉学科に進むことになりました。当時は社会福祉学科に行くのは、政策を勉強するためであって、介護や福祉の現場では働かないと思っていました。
 ですが、勉強の一環でたまたま現在働いている職場でアルバイトをすることになりました。もともと介護の仕事に抱いていたイメージが良くなかった分、「うわー、何この仕事。面白い!」と衝撃を受けました。そこからどんどん介護にのめり込みました。
 柴田 まさに人生を変えるほどの衝撃だったのですね。田尻さんは、特に印象に残っている利用者さんはおられますか。
 田尻 94歳で要介護1の女性で、認知症があり、お金も置いた場所をすぐに忘れてしまう方ですが、今も一人で自立した生活を送っておられる方がいます。
 元々は軽費老人ホームを利用されていたのですが、耐震工事をするために2年間部屋を出なければならなくなりました。周りの人たちは、施設に入所しないと生活ができないだろうと言っていたのですが、ご本人は自炊をすることに強いこだわりがあり、アパートで一人暮らしをすることを選択され、私たちがお手伝いをすることになりました。
 最初の頃は毎日2回、ヘルパーが訪問して生活の困りごとを解決し、生活リズムを作っていくことを心掛けました。洗濯機の使い方を一から紙に書いたり、ボタンの押す場所をわかりやすく工夫したりして、全自動洗濯機がつかえるようになったり、ヘルパーがその方専用の地図を作ってくれたりしたことで、一人で商店街で買い物ができるようにもなりました。
 認知症があっても、ヘルパーと一緒に取り組んでいるうちに、新しい土地、新しい暮らしに慣れ、今では週3回程度訪問して、入浴や掃除をお手伝いするぐらいで、あとは一人で自立した生活を送られています。このケースを通じて、自分で何とかしようとする気持ちが、その人を元気にするのだと思い知らされました。

一緒に行うことで自立支援

 柴田 まさに介護保険の基本理念である「自立支援」ですね。
 田尻 ヘルパーに求められるのは、相手が求めているものを感じ取る力です。こうありたいという生活は一人ひとり異なるため、その人の希望や意欲を引き出して、置かれている環境や状況などを踏まえ、できない部分をお手伝いしたり、一緒に行うことでできるようにしていく。そこが大事だと思います。
 森近 田尻さんのお話を伺って、通じるエピソードがあるのですが、バセドー病で気管が狭まり、そこに痰が詰まって窒息死しそうになった女性の方がいました。本当に命が危ない状態から奇跡的に回復されて、私たちの小規模多機能事業所にまずは「泊まり」で戻ってくることができました。
 これから家に帰るか、それとも施設に入所するかを本人と話し合った時に、福島県の出身の方だったので「福島の施設に入所したい」と繰り返しおっしゃいました。ですが、本当にそうなのかと疑問に感じ、一緒に温泉とお墓参りを兼ねて福島に行ってみました。そうすると、帰る時間になった時、その方が初めて「東京の家に帰りたい」と話されました。やはり福島の施設に入所したいというのは本音ではなかったのです。その後、自宅へ帰られ、その方らしい生活を取り戻されていきました。

(介護の日しんぶん2018年11月11日)

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