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「必勝不敗」能代工の走るバスケ 全国優勝58回

「必勝不敗」能代工の走るバスケ 全国優勝58回

 秋田県北西部に位置する能代市は、1989年より「バスケの街づくり事業」を開始、今日まで幅広い世代へバスケットボールの普及活動を行ってきた。同普及事業の原動力となったのは、高校バスケの全国優勝58回と圧倒的な戦績を誇る能代工業高校の存在だ。

能代市 バスケットボールの街

 秋田県北西部に位置する能代市は、1989年より「バスケの街づくり事業」を開始、今日まで幅広い世代へバスケットボールの普及活動を行ってきた。
 事業の初期は公園等へのバスケリングの設置や、市総合体育館の建設など、環境整備に着手。現在も駅前ロータリーやマンホールまで、市内の至るところにバスケのデザインがあしらわれている。また、普及・底辺拡大としては、小学生等を対象にミニバス大会やバスケ教室なども立ち上げてきた。
 2012年からは「地域振興」の要素を加えた新計画をスタート。推進委員会を設置し、市内に「能代バスケミュージアム」を開設した。全国から多くのバスケファンが集い、プロ選手が訪れるイベントも行われている。
 また、バスケの普及に取組む団体・個人に対し上限10万円の補助金を創設。主にバスケ大会のイベント運営費や、PR用ユニフォーム制作などに活用されている。
 同普及事業の原動力となったのが、高校バスケの全国優勝58回と圧倒的な戦績を誇る能代工業高校の存在だ。「インターハイ」「国体」「ウィンターカップ」の全国大会3つを同年に優勝する高校3冠をこれまで9回達成。複数回達成した高校(男子)は他にない。
 日本人初のNBAプレーヤー・田臥勇太選手の出身校でもあり、田臥選手の在学3年間は全て高校3冠達成という偉業を成し遂げている。昨年のインターハイ県予選で敗れ、全国大会連続出場が47回で途切れた際は、ニュースでも大きく報じられた。
能代工業高校の主な記録(男子のみ、 2016年時点)

能代工業高校の主な記録(男子のみ、 2016年時点)

常勝の始まり

 能代工が1967年の埼玉国体で初の全国優勝を飾った年から、今年はちょうど50年。当時キャプテンとしてチームを率いた山本富美夫さん(68歳)は、「3~4年前から、インターハイに出場できるレベルには来ていました」と振り返る。
 2歳上の兄・健蔵さんも同バスケ部でキャプテンを務め、健蔵さん3年生、富美夫さん1年生のときに長崎インターハイでベスト8入り。徐々に「能代工」の名前が全国的に知られるようになったという。山本さんは身長165㎝と小柄ながら、ゲームメイクしチームを取りまとめる「ガード」として、2年生からレギュラーポジションを手に入れた。
1967年インターハイ (後列左から4番目が山本さん)

1967年インターハイ (後列左から4番目が山本さん)

山本富美夫さん

「平面は立体を制する」

 能代工のバスケスタイルを確立させたのが、やがて同校を常勝校に築き上げた加藤廣志元監督だ。60~89年の監督就任30年間で全国優勝33回という圧倒的な数字を残す。
 加藤氏の有名な言葉が「平面は立体を制する」。
 バスケミュージアムの運営担当で能代市企画部市民活力推進課の小野弘樹さんは「攻守の切り替えを速くし、ゴール下の争いを減らすオールコートスタイル。高さの不利をスピードで打ち勝つ戦術です」と説明する。
 小野さんも元バスケ部で田臥選手の2年後輩。3冠達成も経験している。加藤氏から直接指導を受けた山本さんは「分かりやすく言うと、とにかく最後まで走り続けるバスケです」と表現。「リードされていても後半、相手が疲れてくる時が必ず来る。そこが勝負どころだと監督は考えていました」。
バスケミュージアムの運営を担当する小野弘樹さん

バスケミュージアムの運営を担当する小野弘樹さん

 ただし「平面のスピード」を徹底的に磨くための練習は、過酷を極めた、と山本さん、小野さん共に語る。
 「練習は2~3時間ですが、ほとんどが走っていてボールを持たせてもらえません」(小野さん)。
 山本さんに名物と言わしめる「10往復ダッシュ」はその代表。コートの端から端までを走って往復するのだが、10往復では終わらない。1回目は1往復、2回目は2往復というふうに回数ごとに往復数が増えていくしくみ。「他の練習でも、手を抜く、サボっていると判断されたら連帯責任で罰走。今考えると、異常なくらい走っていました」。
 夏休みにはOBの大学生が集まり、現役生と対戦する。「勝てるわけがない。それでも、勝つまで続けます。同じ高校生との試合が楽に感じました」(山本さん)。辞める部員もいれば、合宿所から夜逃げする部員も。山本さんも一度だけ、1年生のときに親指にマメができて練習を休んだことがあった。「後で聞くと、その日は兄の健蔵が徹底的に絞られたそうです。これでサボる気も、辞める気もなくなりました」と笑う。

能代市活性化の象徴

 山本さんは高校卒業後も大学、実業団とプレーを続けた。「当時は能代工で補欠だった選手でも、大学では十分通用した。それくらい、試合になるとスピードとスタミナの差が歴然だった」と胸を張る。
 長らく東京住まいだった山本さんだが、3月に秋田へ戻ってきた。やはり現役生の試合は気になる様子。「あまりOBとして出しゃばりたくない」と言いつつも、いざ試合を観戦すれば最前列に陣取って声を張る。
 08年以降、全国優勝からは遠ざかっており「少し寂しい」と山本さんはつぶやくも、「能代市の取組みのおかげで、小学生のミニバスケも普及してきました。今の子達は、技術は我々のときより確実に高いレベルを持っています。能代工の強いバスケは能代市活性化の象徴。何とか盛り上げていきたい」と語った。
ゴールを狙う山本さん。今年6月に行われた 初優勝50周年イベントで

ゴールを狙う山本さん。今年6月に行われた 初優勝50周年イベントで

(ねんりんピック新聞2017in秋田)

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