生き活きケア

在宅介護を支える元気な高齢ヘルパー/えるはあとケアセンター(目黒区)

在宅介護を支える元気な高齢ヘルパー/えるはあとケアセンター(目黒区)

 介護労働安定センターの調べによると、ホームヘルパーの平均年齢は54.3歳。60歳以上の構成割合はおよそ4割となっており、高齢ヘルパーによって、日本の在宅介護が支えられている実態がある。東京都目黒区の「えるはあとケアセンター」で働く佐久間ヒロ子さん(写真・左)は、9月1日で80歳を迎える現役ヘルパー。訪問介護の仕事にやりがいを感じ、「体が動かなくなるまで続けたい」と周囲が驚くほど元気に活躍している。

 佐久間さんは昭和16年(1941年)9月1日生まれの御年79歳。62歳の時にヘルパー2級の資格を取得し、それ以来、訪問介護一筋で働いてきた。現在の自宅は神奈川県川崎市にあり、15年近く勤務している目黒の職場まで、片道1時間かけて、満員電車に揺られながら通勤する。勤務シフトは週4日。記者が訪れたこの日は、午後から101歳の利用者の入浴介助を行う仕事が入っていた。

 取材の受け答えの際も矍鑠(かくしゃく)としていて、およそ80歳とは思えない佐久間さん。「利用者さんから5kgのお米を買ってきてと言われた時に持てなくなっては困るので、休みの日にダンベルで腕の筋力を鍛えている」と驚きの言葉が返ってくる。若い時はソフトボールやママさんバレーで鍛えたそうだ。

 サービス提供責任者の川村久美子さんは、「佐久間さんは利用者さんと年齢が近く、人生経験が豊富なので、訪問を心待ちにしている利用者さんが本当に多い」と、佐久間さんに対する利用者からの信頼の厚さを力説する。それを物語るエピソードが、10年以上担当する利用者が還付金詐欺の被害に遭うのを未然に防いだ話だ。

 ある日、いつものように利用者宅に訪れた佐久間さん。利用者が疲れた様子で「銀行と区役所からの長い電話で疲れてしまったよ」と愚痴を言うので、「何かあったのですか?」と尋ねたところ、亡くなった奥さんの病院代の返却があるので、通帳を準備しておくようにと言われたとのこと。話がおかしいと感じた佐久間さんは、すぐに会社に報告。その場で区役所にそのような課が存在しない事実を確認できた。佐久間さんは利用者に、あえて区役所に電話をかけてもらい、「そんな課はありません」と説明してもらったことで、本人もようやく詐欺だと納得できた。「この利用者さんは、普段から年齢の近い佐久間さんに何でも相談する関係だったので、なんとか被害に遭わずに済みました」と川村さんは佐久間さんのお手柄だと評価する。

「ヘルパーになり、人として成長できた」

 休みの日も規則正しい生活を送るように心掛けている佐久間さん。毎日23時~24時の間に寝て、朝5時45分に起きる。バランスのよい食事も健康の秘訣だという。趣味は洋裁で、ヘルパーの仕事がない日は1回3時間、ボランティアで洋裁を教えに行く程の腕前を持つ。

 そんな佐久間さんが、ヘルパーを目指そうと考えたのは、義母の介護がきっかけだ。長男の嫁として、同居する義母を約10年間、介護してきた。「朝から晩まで介護するのは本当に大変でした。義母が亡くなった時は正直、悲しいというよりもやり切ったという気持ちの方が強かったです」と振り返る。

 義母を見送ってから、しばらく何もしない日が続いた。家の中がシーンと静まり返っている中で、このまま一生を過ごすのは嫌だなという思いが込み上げてきた。そんな時、介護の仕事も悪くないなと、ふと頭に浮かんできたという。そして、たまたま家の近くに来ていたヘルパーに「私にもできるかしら?」と尋ねたら、「できるわよ。講習会に行けばいい」と言われ、すぐにホームヘルパー2級講習の門を叩いた。

 あの日から15年以上、ヘルパーとして活躍する佐久間さん。最初の頃はうまくいかない日もあったそうだが、ある時、利用者から「あなたの料理、おいしいね!ありがとう!」と褒められたことで、この仕事が急に楽しくなったと笑う。

 「ヘルパーの仕事をしていると、小さなことでカチンと頭に来ることもなくなりました。そこはこの仕事を通じて人間が磨かれた部分だと思います」。62歳から新しい仕事を始め、そこからさらに人として成長できたのが嬉しいのだと佐久間さんは胸を張る。

 取材の最後に、いつまでヘルパーを続けるつもりなのかと問うと、「迷惑がかかる前に辞めたいとは思っていますが、体が動かなくなるまでは続けたい」と迷いのない言葉が返ってきた。
(シルバー産業新聞2020年8月10日号)

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