生き活きケア
「女性活躍」「高齢者雇用」実践で職員定着/養護老人ホーム「明範荘」(愛西市)
三重、岐阜の県境に近い愛知県愛西市にある「明範荘」(社会福祉法人貞徳会、矢留眞人理事長/特養、養護老人ホーム、ショートステイ、デイサービス、居宅介護支援)の、71歳現役看護師の奥村ミチ子さんは、2度の出産を経て2度職場復帰し、勤続51年目となる。「女性活躍」と「高齢者雇用の促進」の実践は、人材確保・定着が困難な現在にあっても、安定的な施設運営を可能にしている。(生き活きケア 152)
高齢者施設と女性看護師の歩み
社会福祉法人貞徳会は1962年設立。「明範荘」を開設した。愛知県内でも民間で3番目に古い養護老人ホーム。
佐賀県出身の奥村さんは社会人として自立したい意欲が強く、看護師になるため、62年に15歳で愛知県の看護学校に入学した。
看護学校には奨学生として入学。卒業後、看護師として就職することを条件に授業料等が免除される。地元の開業医に保証人と推薦者になってもらい、17歳で看護師になった奥村さんは、そのまま病院に就職した。
その後、先代理事長の矢留道雄氏との出会いがあり、68年に奥村さんは開設間もない「明範荘」に転職した。働く女性としての奥村さんのキャリアと、同法人設立・施設開設の歩みは時間軸が一致する。
佐賀県出身の奥村さんは社会人として自立したい意欲が強く、看護師になるため、62年に15歳で愛知県の看護学校に入学した。
看護学校には奨学生として入学。卒業後、看護師として就職することを条件に授業料等が免除される。地元の開業医に保証人と推薦者になってもらい、17歳で看護師になった奥村さんは、そのまま病院に就職した。
その後、先代理事長の矢留道雄氏との出会いがあり、68年に奥村さんは開設間もない「明範荘」に転職した。働く女性としての奥村さんのキャリアと、同法人設立・施設開設の歩みは時間軸が一致する。
高齢者施設のイメージ覆した 「明範荘」
奥村さんには不安もあった。「9時から17時勤務で夜勤なし、土曜日は半休という好条件だったものの、当時の高齢者施設のイメージは『身寄りのない高齢者の生活する寂しい、暗い職場』という先入観があった」と振り返る。しかし実際に働きはじめると「明るく、清潔で、栄養に配慮された食事が提供され、日々報謝や喜びをもって生活をする入所者の姿に、すぐにイメージが覆された」と奥村さん。
半世紀前から「出産・子育て」 に気遣い
その後、奥村さんは結婚。出産に際しても「当時、女性は母として家庭に入るのが当たり前だったが、先代の理事長は夫に直接会って『ミチ子さんには、辞めないで働いてほしい』と説得いただいた」と振り返る。
子育て中は「明範荘」から保育所の送迎バスに預け、帰りは直接、職場まで送りとどけてもらうなど子供を見ながら働ける恵まれた環境で仕事ができた。「今も職場のみんなが無理のない範囲でシフトを分担する良い風土ができている。だからこそ、女性職
員も産休がとりやすく、仕事復帰もしやすい」と職場に好循環が起こっていると説明する。
現在3人の女性職員が産休を取っており、いずれ職場復帰の見通しとなっている。
子育て中は「明範荘」から保育所の送迎バスに預け、帰りは直接、職場まで送りとどけてもらうなど子供を見ながら働ける恵まれた環境で仕事ができた。「今も職場のみんなが無理のない範囲でシフトを分担する良い風土ができている。だからこそ、女性職
員も産休がとりやすく、仕事復帰もしやすい」と職場に好循環が起こっていると説明する。
現在3人の女性職員が産休を取っており、いずれ職場復帰の見通しとなっている。
手探りの 「高齢者のための看護・介護」
現在71歳の奥村さんは、措置時代の養護老人ホームから看護職として高齢者施設を経験してきた。
「施設開設当時は、役所の福祉窓口に申請し、審査を受けて、行政措置として福祉サービスを受ける時代。介護が社会的にオープンではなかったため、近所の目を気にして遠方の自治体から入所することも多かった。ただ、施設内で介助の必要のない入所者が、介助の必要な入所者を支えるような互助も見受けられた」と当時の雰囲気を語る。
「当時は医療も介護も『高齢者の』という視点がほとんどなく、医療職として看護業務を預かる責任感から、通信教育で看護書籍を傍らに、高齢者のための看護とは何かを必死に勉強しながら業務にあたった」と振り返る。「高齢者施設で看取りという概念がない頃から、実質的に看取りをしてきた」という。
「施設開設当時は、役所の福祉窓口に申請し、審査を受けて、行政措置として福祉サービスを受ける時代。介護が社会的にオープンではなかったため、近所の目を気にして遠方の自治体から入所することも多かった。ただ、施設内で介助の必要のない入所者が、介助の必要な入所者を支えるような互助も見受けられた」と当時の雰囲気を語る。
「当時は医療も介護も『高齢者の』という視点がほとんどなく、医療職として看護業務を預かる責任感から、通信教育で看護書籍を傍らに、高齢者のための看護とは何かを必死に勉強しながら業務にあたった」と振り返る。「高齢者施設で看取りという概念がない頃から、実質的に看取りをしてきた」という。
節目の「措置から契約へ」介護保険スタート
奥村さんは、看護職だけでなく「社会福祉主事」「衛生管理者」に加え、50代で「社会福祉士」を取得、2000年の介護保険開始時に「ケアマネジャー」の資格を取得していき、入所者サービスの充実にまい進した。
65歳まで特養で看護職として第一線で活躍。現在では看護主任職は離れたもののデイサービスに配属になり、職員たちの良き相談相手となっている。同施設では、奥村さんのほかにも、最年長は79歳の介護補助が現役で活躍する。
65歳まで特養で看護職として第一線で活躍。現在では看護主任職は離れたもののデイサービスに配属になり、職員たちの良き相談相手となっている。同施設では、奥村さんのほかにも、最年長は79歳の介護補助が現役で活躍する。
科学的介護普及には看護職・介護職の相互理解がカギ
新しい介護手法「竹内理論」を職場に根付かせたのも奥村さん。「介護の取り組みを看護職が否定的に捉える環境ではうまくいかない。看護職である私が、新しい介護を広げようとしたことは、介護職にとっても取り組みやすかったのでは」と、介護施設内での看護職と介護職の交流と友好と連携が欠かせないと強調する。
若い世代の職員に向けて「高齢者介護のエビデンスがない頃から、より良い看護・介護を目指してきたが、現在ではエビデンスに基づいたアウトカム重視の介護保険に向かって、変化が出始めている。働く側にとっても、高齢者本人にとっても、恵まれた時代に向かっていると信じている」とエールを送る。
若い世代の職員に向けて「高齢者介護のエビデンスがない頃から、より良い看護・介護を目指してきたが、現在ではエビデンスに基づいたアウトカム重視の介護保険に向かって、変化が出始めている。働く側にとっても、高齢者本人にとっても、恵まれた時代に向かっていると信じている」とエールを送る。
(シルバー産業新聞2019年12月10日号)