インタビュー・座談会

「自分に勝つ」気持ちが記録を伸ばす(前半) 早田卓次/鈴木大地

「自分に勝つ」気持ちが記録を伸ばす(前半) 早田卓次/鈴木大地

 各都道府県を勝ち上がったシニアのトップアスリートがしのぎを削り、交流するねんりんピック。日々の鍛錬はもちろん、試合では、ここ一番の集中力・精神力が勝負の分かれ目となる。本紙では和歌山大会開催を記念して、スポーツ庁・鈴木大地長官と和歌山県出身のオリンピック金メダリスト・早田卓次さんに登場いただいた。共に、金メダル獲得のエピソードなどを語っていただく対談(前半)。

 二名の対談を、前半と後半に分けて紹介する。
 ■ 前半: 世界レベルで競技する意義 (本ページ)
 ■ 後半:「バサロ」を生んだトレーニング 他  (リンク先)

世界で競技する意義

 ――早田さんは1964年の東京五輪に出場されました。当時、地元開催の雰囲気はいかがでしたか。
 早田 異様に盛り上がっていました。特に体操は、前回ローマ大会で金メダルを獲得し、期待が高く人気もありました。マスコミを含め周囲を警戒し、最終調整は名古屋で行いました。10月8日まで合宿して9日に東京入り、翌10日が開会式でした。
 10月10日が誕生日というのも、縁かなと感じています。当時「フジヤマのトビウオ」こと古橋廣之進さん(選手団団長秘書)に呼び出され、大島鎌吉団長から直々にケーキのお祝いもいただきました。
 鈴木 ソウル五輪も日本からたくさんの方に応援に来ていただきました。ただ、当時の競泳は「底辺の時代」で、メダルへの期待はほとんどありませんでした。
 ――そんな中、鈴木さんは16年ぶりに競泳で金メダルをもたらしました。
 鈴木 プレッシャーもなく、のびのびと競技できたのが良かったのかもしれません。いつだったか海外の選手に「お前が出てきてから日本の水泳が変わった」と言葉をかけてもらえたのが印象に残っています。
 今や、日本人が金メダルをとれる可能性が十分にある、という空気感が日本全体に広がっています。それくらい競泳のレベルが上がってきていることが嬉しいですね。
 早田 平均的な日本人の体格でも、世界のトップに立てることを鈴木さんは証明されました。例えば、陸上の100m走では日本人が次々と9秒台を出しています。これを見たジュニア層や子供達が「自分もできる」と可能性を感じます。競技人口やレベルの底上げにつながりますね。
 ――世界で結果を出すことの意義深さでしょうか。
 鈴木 1976年のモントリオール五輪で、アメリカのジム・モンゴメリー選手が自由形100mで49・99秒を記録し、世界で初めて「50秒の壁」を破りました。身長2m近い大柄の選手で、来日したときに見て「50秒を切るにはこれぐらいの体格が必要なのか」と驚きました。
 国内では2005年に日本大学の佐藤久佳選手が初めて50秒を切りました。佐藤選手は170㎝台で、体格に恵まれているわけではありません。
 そして今や50秒切りが当たり前で、46秒台の争いです。
 早田さんのおっしゃるように「できる」と意識し、その目標に向かって日々練習を積むことが大事なのではないでしょうか。特に、体操や競泳は相手と身体をぶつけ合って競うこともありませんので、「自分に勝つ」という気持ちでやっていました。
 早田 自分との戦いという部分は大いにありますね。
 鈴木 当時は「準備で結果の9割は決まる」と考えていました。そこまで練習で自分を追い込んだ自信があったので、ソウル五輪は平常心でのぞむことができました。
 早田 確かに、自分も競技中は冷静だったのは覚えています。十字懸垂(つり輪を持った両手を横に水平に伸ばした状態)で静止すると、審判員の反応や、会場の声援をゆっくり聞く余裕がありました(写真)。
ぴたりと静止する十字懸垂で観客を魅了した 早田さん(64年東京五輪)

ぴたりと静止する十字懸垂で観客を魅了した 早田さん(64年東京五輪)


 次のページでは、トレーニングによる健康づくりについて語る。
 ■ 後半: 「バサロ」を生んだトレーニング 他  (リンク先)

(ねんりんピック新聞2019in和歌山)

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