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「ノーベル街道」 国道 41 号線 

「ノーベル街道」 国道 41 号線 

 富山・岐阜、愛知を結ぶ国道41号線は古くは飛騨街道と呼ばれ、富山湾のキトキトな(新鮮な・富山弁)ブリを運んだ「ブリ街道」でもあった。近年、この街道沿いに縁のある学者のノーベル賞受賞が相次ぎ、「ノーベル街道」の尊称を戴くようになった。利根川進さん、田中耕一さん、梶田隆章さん、小柴昌俊さん、白川英樹さんの足跡を辿る。

「ノーベル街道」の受賞者たち

 今年9月には生理学医学賞に京都大学の本庶佑さんの受賞が決まったが、26人の日本人ノーベル賞受賞者のうち、5人が「ノーベル街道」につながっている。富山県から岐阜県の順で説明する。
 まず、遺伝学・免疫学の分野で同賞を受賞(1987年)した利根川進さんが小学校から中学校まで富山市で過ごしている。
 次に、本紙別記事「澤柿先生 子どもの創造力を伸ばす」でご紹介する田中耕一さんは、タンパク質などの生体高分子を簡単に特定する手法を発見し、新薬開発に革命をもたらしたとして、2002年に化学賞を受けた。高校まで富山市で過ごした。
 3人目。2015年の物理学賞受賞の梶田隆章さんは、95年~99年富山市に住み、隣の岐阜県神岡町(現飛騨市)の「スーパーカミオカンデ」で、宇宙の超新星爆発で生まれたニュートリノの質量の存在を明らかにしている。
 83年から同装置を使ってニュートリノを発見したのは、4人目の小柴昌俊さんで、田中さんと同じく2002年に受賞した。
 最後の5人目は、2000年にノーベル化学賞を受けた白川英樹さん。電気を通すプラスティックを開発した。岐阜県高山市で小学3年から高校3年まで過ごした。

教育県富山の底力

 富山駅近くにある富山県教育記念館(富山市千歳町)の伏黒昇館長は、「ノーベル街道」を生んだ富山県の教育熱心な県民性をつぎのように説明する。
 「富山県は立山連峰から富山湾まで距離が20km程度で、常願寺川や黒部川、早月川など河川の氾濫が相次ぎ、貧しい地だった。それが明治以降、水力発電によって負を富に変えて、飛騨街道沿いに紡績工場ができ、それまで出稼ぎ県だったのが、出稼ぎ先に変わっていった。」
 「江戸時代から庶民は教育熱心で、寺子屋は460校あり、富山・石川・福井の北陸3県の中で、決して少なくはなかった。貧しさ故に、寺子屋では商いに必要な算数や漢字を教えるところが多かった。こうした土壌が、保守的でありながら、その一方で先進性を生み、両者の相まった中庸な気質が生まれてきた」
 江戸時代の富山の寺子屋を説明す る富山県教育記念館の伏黒館長

 江戸時代の富山の寺子屋を説明す る富山県教育記念館の伏黒館長


(ねんりんピック新聞2018in富山)

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