話題
「このゆびとーまれ」「ふらっと」/富山型デイサービス
富山発の包括ケアといえる「富山型デイ」が、18年介護保険改正で共生型サービスの創設の礎となった。高齢者も障がいのある人も、母子も、社会的なケアが必要な人を包括的に支えていく。
「このゆびとーまれ」
「明日世界がなくとも今日も私は木を植える」
富山が誇る介護サービスの形態がある。「富山型デイサービス」と呼ばれる、高齢者だけではなく、障がいのある人も、母子も、社会的な支援が必要な人は誰でも受け入れるデイサービスをいう。
1993年、介護保険(2000年創設)が始まる7年前に、富山で「このゆびとーまれ」という自主的な事業所が富山赤十字病院の看護婦さんらによって始められた。公的な制度は縦割りで、一緒にサービス提供が禁じられていた障がいのある子どもたちや、赤ちゃん、高齢者を自主事業としてともに受け入れた。
リーダーは、看護師の惣万佳代子さん。姉妹紙「シルバー産業新聞」09年2月号で、「加わりたい人はだれでも、このゆびとーまれ。何らかの社会的なサービスを必要とする人は年齢や障がいの違いに関わらず広く受け入れられ、それぞれが何らかの役割を果たしながら、一人ひとりに添った支援を受けることができる」と紹介した。
介護保険が始まっても、高齢者と障がい者とを制度をまたいで、一つの建物で実施しようとすると、入り口は2つ、構造は区分できるように県は指導していた。
「もしも明日世界がなくなろうとも、今日も私は林檎の木を植える」という宗教家マルティン・ルターの言葉を引きながら、惣万さんは最後まで実践家でいたいと記事は結ばれている。
1993年、介護保険(2000年創設)が始まる7年前に、富山で「このゆびとーまれ」という自主的な事業所が富山赤十字病院の看護婦さんらによって始められた。公的な制度は縦割りで、一緒にサービス提供が禁じられていた障がいのある子どもたちや、赤ちゃん、高齢者を自主事業としてともに受け入れた。
リーダーは、看護師の惣万佳代子さん。姉妹紙「シルバー産業新聞」09年2月号で、「加わりたい人はだれでも、このゆびとーまれ。何らかの社会的なサービスを必要とする人は年齢や障がいの違いに関わらず広く受け入れられ、それぞれが何らかの役割を果たしながら、一人ひとりに添った支援を受けることができる」と紹介した。
介護保険が始まっても、高齢者と障がい者とを制度をまたいで、一つの建物で実施しようとすると、入り口は2つ、構造は区分できるように県は指導していた。
「もしも明日世界がなくなろうとも、今日も私は林檎の木を植える」という宗教家マルティン・ルターの言葉を引きながら、惣万さんは最後まで実践家でいたいと記事は結ばれている。
共生型サービスへ
介護保険の理念に地域包括ケアが掲げられ、2018年4月改正で、介護保険事業所、障がいサービス事業所双方が、両方のサービスをできるよう「共生型サービス」というサービスが創られた。93年のこのゆびとーまれ創設から、25年の歳月を必要とした。
世界に目をやると、スウェーデンで社会サービス法が生まれたのは1980年のこと。禁酒法、社会扶助法、児童福祉法、幼児保育法の4つの法律を統合して作られた。日本でも、酸素吸入などの医療的ケアが必要な乳幼児の在宅ケアや、ギャンブルやアルコールの依存症など、たくさんの課題を抱える人は多い。
地域に埋もれるこうした多様な複合的な支援が必要な家族にどう手を差し伸べるのか。地域丸ごと、共生型社会の構築を掲げるようになった日本だが、一歩一歩進めていかなければならない。富山型デイの今後の進展が注目だ。
世界に目をやると、スウェーデンで社会サービス法が生まれたのは1980年のこと。禁酒法、社会扶助法、児童福祉法、幼児保育法の4つの法律を統合して作られた。日本でも、酸素吸入などの医療的ケアが必要な乳幼児の在宅ケアや、ギャンブルやアルコールの依存症など、たくさんの課題を抱える人は多い。
地域に埋もれるこうした多様な複合的な支援が必要な家族にどう手を差し伸べるのか。地域丸ごと、共生型社会の構築を掲げるようになった日本だが、一歩一歩進めていかなければならない。富山型デイの今後の進展が注目だ。
ふらっと
宮袋季美さんの活動
息子が自閉症で障がい者の自立をめざして行政や社会に働きかけてきた宮袋季美さん(55歳)。探しても探しても、施設や病院しかない。入所施設はあっても、通所がほとんどなかった。その頃、運動を通じてつながった人が宅老所を始め、それを手伝った。子どもの権利条約の制定などをめざして、主婦やボランティアの人たち、大学の先生や福祉の人たちといっしょに、月1回勉強会を開き、市民が望む形の市役所をめざして、行政に働きかけをしていた。
保守的と言われる富山県の中で、宮袋さんが住む射水市小杉は、富山市と高岡市の中間にあって、「富山の中では都会的で市民感覚のあるまち」と宮袋さん。活動の輪の広がりは、障がい児を抱える母親にとって大きな力になった。「どのような美しい言葉で表現しても、24時間障がいのある子どもと向き合い続けることはきびしい。様々な分野の人たちとも関わりながら、視野を広げる努力が要る」と。
宅老所は、4年経った2000年4月、介護保険創設を機に、宅老所代表が取組を止めることなり、同年10月に宮袋さんを理事長に「ふらっと」を設立し、公設民営で、障がいのある子どもの放課後デイから始めた。誰にとっても落ち着ける居場所づくりがしたかった。好きな時間に行けて、好きな時間に帰ることができる。そんなサービスはできないかと思った。
保守的と言われる富山県の中で、宮袋さんが住む射水市小杉は、富山市と高岡市の中間にあって、「富山の中では都会的で市民感覚のあるまち」と宮袋さん。活動の輪の広がりは、障がい児を抱える母親にとって大きな力になった。「どのような美しい言葉で表現しても、24時間障がいのある子どもと向き合い続けることはきびしい。様々な分野の人たちとも関わりながら、視野を広げる努力が要る」と。
宅老所は、4年経った2000年4月、介護保険創設を機に、宅老所代表が取組を止めることなり、同年10月に宮袋さんを理事長に「ふらっと」を設立し、公設民営で、障がいのある子どもの放課後デイから始めた。誰にとっても落ち着ける居場所づくりがしたかった。好きな時間に行けて、好きな時間に帰ることができる。そんなサービスはできないかと思った。
誰にとっても安心できる居場所を
宮袋さんは、そうした頃、誰でも受け入れるという富山型デイを進める惣万さんの活動を知った。ふらっとでは、障害福祉サービス(多機能型生活介護・生活訓練事業、福祉運送移送サービスなど)と、介護保険サービス(基準該当通所介護事業など)を展開する。宮袋さんはつぎのように話す。
「長男も28歳になり落ち着いてきました。母親との距離感や他の人との関わりが分かってきたのでしょう。ぶつかり合って当たり前。うまくやらないのがコツです。ごまかしの技術をスタッフが上手に使う。それぞれの好みややりたがっていることを知り、予測して動くことが大切です」
「重く感じられないスタッフを探す。重くならない程度で変える」
「楽しい存在でありたい。あなたがいてよかったと。出会ってよかったと。お互い様の地域をめざしてまちづくりをしましょう」
「長男も28歳になり落ち着いてきました。母親との距離感や他の人との関わりが分かってきたのでしょう。ぶつかり合って当たり前。うまくやらないのがコツです。ごまかしの技術をスタッフが上手に使う。それぞれの好みややりたがっていることを知り、予測して動くことが大切です」
「重く感じられないスタッフを探す。重くならない程度で変える」
「楽しい存在でありたい。あなたがいてよかったと。出会ってよかったと。お互い様の地域をめざしてまちづくりをしましょう」
(ねんりんピック新聞2018in富山)