連載《プリズム》

受容とは、社会が受け入れること

受容とは、社会が受け入れること

 横浜で行われた第5回慢性期リハビリテーション学会のシンポジウム「障害を乗り越えて?」の参加者の言葉が心に残った。座長の日本作業療法士会の中村春基会長が、障がいをもつ3人のシンポジストに、夢を尋ねた。(プリズム2018年3月)

 13年前に難病の確定診断を受けた古矢香里さんは、9年ほど経った朝突然に歩けなくなった。訪問看護師として多くの障がい者に関わってきた自分が、何気ない日常ができない現実に突き当った。「歩けなくなったのが突然なので、また突然歩けるようになるのでは、と今も思う。私が障がいを受け入れることが受容ならば、4年経った今でも受容はできない」と話す。それでも「不便だが、不幸と思わなくなった自分がいる。私を支え、見守り、ともに歩んでくれる周囲の人たちが、私の障がいを受け入れてくれているからだと思う」。2年前から、古矢さんは鶴巻温泉病院に就職し、看護部の現任教育を担っている。「私の夢は、生涯看護師」と結んだ。

 「自分で移乗できない」という理由で、運転補助装置つきの車による移動を絶たれた今村登さん。29歳の時、不慮の事故で頸椎損傷。ゴールを決められてしまう現実がおかしいと感じた。自立生活センターえどがわの理事長になった。「いろんな人がいて当たり前。依存して自立すればよい。私にとって受容とは、新しい挑戦」と。200万円を超える電動車いすを基準外交付の補装具として利用する。「でも1年にすれば20万円程度。経済はお金が回ればよいのでは。インクルーシブな社会が、私の夢」。

 田村辰男さんは高校の時、器械体操で落下し首から下がマヒ、車いす利用になった。夢だった自立生活が実現したのは、30代後半になっていた。その後、障がいのホームヘルパー事業を開始し今年で14年になる。40人の従業員が19人の人たちをサポートしている。

 座長の中村さんは若いOTに、自分が受け持った患者の退院後の経過確認をしなさいと呼びかけている。病院と在宅では環境がまったく異なり、一人ひとりの在宅生活を見なければ、患者の状況は分からない。一人ひとり、障がいに向き合い、社会の中で精一杯生きている。

(シルバー産業新聞2018年3月10日号)

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