半歩先の団塊シニアビジネス
人生100年、お金を稼ぎ「自分軸」で生きる(その2)/村田裕之(連載153)
前回「社会制度が変わっても自分で生涯お金を稼ぐ力を身につけること」の重要性を述べ、そのためには「会社軸」ではなく、「自分軸」で生きるスタイルが必要だとお話しした。その大きな理由は、現代は「会社軸」で生きることに多くの弊害があるからだ。
他人に責任転嫁
その大きな理由は、現代は「会社軸」で生きることに多くの弊害があるからだ。他人に責任転嫁 第1の弊害は、いつも他人に責任転嫁する習慣が身につくことだ。重要な意思決定は上司や経営トップがするもので自分の役割ではないと思ってしまう。
その結果、自分の頭で意思決定のために考えようとしなくなる。こうした習慣で長い間過ごすとそのうちに意思決定の能力も失われていく。結果的にいつも他人に責任転嫁するマインドセットが形成される。
会社軸で生きている人には、何か問題が起こるとすぐ他人に責任転嫁する人が多いようだ。うまくいかないのは上司の指示が悪い、部下の出来が悪い、同僚が足を引っ張る、取引先の筋が悪い、などと理由を挙げる。
こうした人は赤ちょうちんで愚痴ってはいるものの、自分で責任ある行動をとろうとしない。しかし、会社に居続ければ給与をもらえるので、定年までは会社にしがみついている人も多いようだ。
その結果、自分の頭で意思決定のために考えようとしなくなる。こうした習慣で長い間過ごすとそのうちに意思決定の能力も失われていく。結果的にいつも他人に責任転嫁するマインドセットが形成される。
会社軸で生きている人には、何か問題が起こるとすぐ他人に責任転嫁する人が多いようだ。うまくいかないのは上司の指示が悪い、部下の出来が悪い、同僚が足を引っ張る、取引先の筋が悪い、などと理由を挙げる。
こうした人は赤ちょうちんで愚痴ってはいるものの、自分で責任ある行動をとろうとしない。しかし、会社に居続ければ給与をもらえるので、定年までは会社にしがみついている人も多いようだ。
実力を見誤まる
第2の弊害は、その会社を離れた瞬間、それまでの待遇も人脈もなくなることだ。会社軸で生きている多くの(特に大企業の)サラリーマンは、仕事上の人脈や待遇が自分の実力だと勘違いしがちである。
しかし、実際は○○株式会社の××部長という看板があることで得られたものが非常に多いものだ。
かつて、ある大手広告代理店が業績を下げた際、部長職以上が使えたタクシーチケットが会社史上、初めて使用禁止になった。それまで会社全体のタクシー代だけで年間20億円ほどかかっていたそうだ。
その会社のある部長が「うちの会社の部長からタクシーチケットの使用権限がなくなったら、何が残るんだ」と冗談のように言っていた。
彼らのなかにはそれまで、夜の繁華街からタクシーで帰宅し、翌日はタクシーで出勤していた人も結構いたそうで、これも部長の権限の一つと思っていたようだ。
このように、会社のフリンジ・ベネフィット(会社が与える給与以外の経済的利益)があたかも自分の実力だと錯覚しがちなのだが、会社を退職するまで、それが錯覚だということに気づかないものなのだ。
仕事上の人脈も、会社の看板があるからこそ作れるものが多い。そうした人脈は、会社を辞めた途端にその多くが切れてなくなるものだ。
また、会社を退職しても元の会社のバッジを胸につけている人を時々見かける。「元○○会社監査役」や「元××新聞記者」と書かれた名刺を出す人なども未だにいる。
このような人たちは会社退職後も会社の看板で自分の存在を主張している。会社軸がないと生きられない「会社軸依存型人間」といえるだろう。
余談だが、私は40歳のときにそれまで勤めた会社を辞めて、独立・起業したのだが、自分で意識しないうちに大企業の垢が染みついていたことに気がついた。その垢がすべて削ぎ落とされるまで独立後5年はかかった気がする。
しかし、実際は○○株式会社の××部長という看板があることで得られたものが非常に多いものだ。
かつて、ある大手広告代理店が業績を下げた際、部長職以上が使えたタクシーチケットが会社史上、初めて使用禁止になった。それまで会社全体のタクシー代だけで年間20億円ほどかかっていたそうだ。
その会社のある部長が「うちの会社の部長からタクシーチケットの使用権限がなくなったら、何が残るんだ」と冗談のように言っていた。
彼らのなかにはそれまで、夜の繁華街からタクシーで帰宅し、翌日はタクシーで出勤していた人も結構いたそうで、これも部長の権限の一つと思っていたようだ。
このように、会社のフリンジ・ベネフィット(会社が与える給与以外の経済的利益)があたかも自分の実力だと錯覚しがちなのだが、会社を退職するまで、それが錯覚だということに気づかないものなのだ。
仕事上の人脈も、会社の看板があるからこそ作れるものが多い。そうした人脈は、会社を辞めた途端にその多くが切れてなくなるものだ。
また、会社を退職しても元の会社のバッジを胸につけている人を時々見かける。「元○○会社監査役」や「元××新聞記者」と書かれた名刺を出す人なども未だにいる。
このような人たちは会社退職後も会社の看板で自分の存在を主張している。会社軸がないと生きられない「会社軸依存型人間」といえるだろう。
余談だが、私は40歳のときにそれまで勤めた会社を辞めて、独立・起業したのだが、自分で意識しないうちに大企業の垢が染みついていたことに気がついた。その垢がすべて削ぎ落とされるまで独立後5年はかかった気がする。
家族に向き合わない
第3の弊害は、家族の煩わしい問題から逃げる口実になることだ。サラリーマンは、独身時代には会社軸で生きていてもあまり周囲と摩擦が起きない。
ところが、結婚して子供ができると、新たに「子供軸」ができる。通常妻は子供中心、つまり子供軸で生活するようになる。そうすると、会社軸で生きる夫と子供軸で生きる妻とが乖離してしまい、夫婦関係に溝ができるようになっていく。
そして、子育てが一段落する頃、今度は年老いた親の介護が必要になり、介護中心の「介護軸」で生活する必要性も出てくる。
会社勤めのサラリーマンは、「俺はお前たち家族を養うために会社の仕事をしているんだ!」と言って会社軸にしがみつくことで、こうした夫婦間や家族間の煩わしい状況から逃げる口実ができる。
サラリーマンがいつまでも残業して帰宅したがらないのには、こうした背景もあるのだ。
しかし、「人生100年時代」のサラリーマンは、もはや「会社軸」だけにしがみついていられない。
【村田アソシエイツ代表・東北大学特任教授 村田裕之】
シルバー産業新聞2020年1月10日号
ところが、結婚して子供ができると、新たに「子供軸」ができる。通常妻は子供中心、つまり子供軸で生活するようになる。そうすると、会社軸で生きる夫と子供軸で生きる妻とが乖離してしまい、夫婦関係に溝ができるようになっていく。
そして、子育てが一段落する頃、今度は年老いた親の介護が必要になり、介護中心の「介護軸」で生活する必要性も出てくる。
会社勤めのサラリーマンは、「俺はお前たち家族を養うために会社の仕事をしているんだ!」と言って会社軸にしがみつくことで、こうした夫婦間や家族間の煩わしい状況から逃げる口実ができる。
サラリーマンがいつまでも残業して帰宅したがらないのには、こうした背景もあるのだ。
しかし、「人生100年時代」のサラリーマンは、もはや「会社軸」だけにしがみついていられない。
【村田アソシエイツ代表・東北大学特任教授 村田裕之】
シルバー産業新聞2020年1月10日号