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《ねんりん開催地》鎌倉時代の景観を残す歴史的古道

 12世紀末に源頼朝が居を構えた鎌倉は、南を相模湾に、それ以外の三方を丘陵地に囲まれた天然の要害だった。13世紀前半、執権北条氏が台頭する頃には政治経済の拠点として発展したが、険しい尾根を越える交通路は、周辺の地域との人々や物資の往来の妨げとなった。それらの問題を解決するために、丘陵地を切り開き整備されたのが、「鎌倉七口」と呼ばれる切通路だ。今回、その一つである名越切通を歩き、同史跡とゆかりの深い日蓮宗法性寺の住職・高作泰寛さんに話を聞いた。
 鎌倉時代の景観と自然が残る

 名越切通は、鎌倉と三浦半島を結ぶ古道の一つで、周辺には、当時の石切り場の跡で切通の防衛にも関係すると考えられている大切岸や、埋葬施設であったとされるまんだら堂やぐら群など、中世の歴史的景観を残しており、1966年に国の史跡に指定されている。

 鎌倉駅方面からの「大町口」、逗子駅方面からの「法性寺口」、または「亀が岡団地口」などが入口として一般的だが、亀が岡団地口方面からが、切通の代表的景観で最も道が狭まった部分である第一切通に近い。

 ハイキングコースとしても人気が高く、取材当日も多くの高齢のハイカー達とすれ違った。高低差のある石段は当時の古道の面影を残しており、道の両側にうっそうと生い茂るシダや広葉樹を中心とした多様な植生から鎌倉の自然を満喫できる。また、法性寺口へ抜けるコース途中の山頂からの眺めは、逗子の市街地を一望できる絶景だ。
 日蓮の白猿伝説の地

 同史跡は、鎌倉時代の僧侶日蓮とも歴史的な関わりが深い。

 松葉ヶ谷に草庵を構え布教していた日蓮は、文応元年(1260年)、「立正安国論」を鎌倉幕府の五代執権北条時頼へ提出したことを契機に、夜間、草庵を焼き討ちにされ松葉ヶ谷の法難に遭う。

 この時、襲撃に先立ち、日蓮の前に白い猿が現れ、現在の法性寺口奥にある山中の岩窟に導き、難を逃れたとの言い伝えが残る。法性寺は日蓮が危険を免れたその地に、弟子日朗の埋葬の地として建立され、現在も山門には白い猿の像が見られるなど白猿伝説の寺として知られる。

 「迫害に遭いながらも、日蓮は鎌倉の街に立ち教えを説いていたのだろう」と住職の高作さんは思いを馳せる。

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