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競技トピックス・ラグビーフットボール

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「乱闘相手」と40年ぶりに再会。鎌倉市/市橋健次さん(67)

市橋健次さん

市橋健次さん

 広島県の高等専門学校(高専)でラグビー部に所属していた市橋さん。当時、県内の別の高校から招待を受け、その高校の学園祭でラグビーの対抗試合を行った。ところが、試合中に選手どうしが喧嘩するトラブルが発生。収拾がつかず、没収試合となった過去がある。

 就職後は転勤族だった市橋さんだったが、60歳のとき、その学園祭で対戦したチームの一人と偶然出会った。相手もラグビーを続けていた。40年以上も前のことだったが、お互いの顔も出来事もよく覚えており、苦い思い出話になった。
 「今もときどき試合をする機会があります。ずっと続けていると、こんなつながり
もあるのかと。ラグビーには人と人との距離感をなくす不思議な力があります。初めて会う人もなぜか、意気投合してしまいます」。

サッカーからの転身

高専の1年生はサッカー部。当時、ラグビー部とサッカー部は同じグラウンドを分け合
い、お互いの練習が良く見えた。 2年生に上がったとき、同じ寮のラグビー部の先輩に「部員が足りない」と勧誘を受けた。「建前はキック力を買っていただいたのだが、断れる空気がほぼなく強制でした(笑)」。

 組織的な練習はあまりなく、グラウンドの端から端までをひたすらランパスで走っていた記憶だけがよみがえるそうだ。当時、高専の公式試合は高等学校の枠ではなく、大学・社会人と同じリーグ。「大人対子ども。体格がまるで違いました」。

 商船の高専だったため、卒業後は船会社に就職。オイルショックの後で、仕事があまりない時代を過ごした。赴任先の岡山・水島営業所にラグビー部があり、千葉に転勤するまで2年ほど活動。「本格的に取り組みはじめたのは、26歳で神戸に転勤してから」と市橋さん。地元のラグビースクールでコーチをしていたところへ、会社の後輩から社会人クラブの入部を勧められた。Bリーグで優勝、Aリーグに昇格。近畿・中国・四国の「府県対抗戦」の選抜メンバーにも3回選ばれた。34歳のときに転職し、関
東へ。現在は神奈川県内40歳以上のメンバーで構成される「神奈川不惑クラブ」の会
長を務め、260〜270人の部員を束ねる。80代の部員もいる。

 市橋さんのいまのポジションは主に「スタンドオフ」。スクラムハーフがスクラムから
取り出したボールを最初に受け、バックス攻撃の起点となる。チームの司令塔的な役割だ。
 ねんりんピックでは県代表と各政令市代表が分かれる。「不惑」メンバーもそれぞれのチームで戦うことに。県代表には11人が選ばれた。市橋さんは神奈川県選手団の旗手という大役にも抜擢。開会式では選手たちの先頭に立ち、数百人の大軍を率いる姿が見られる。

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