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日刊紙誕生の地 「日本新聞博物館ニュースパーク」
横浜港を望む日本大通りに、日本新聞協会が運営する日本新聞博物館(ニュースパーク)がある。全国の県紙の閲覧や、新聞発行に関わるゲームも楽しめる。
横浜港を望む日本大通りに日本新聞協会が運営する日本新聞博物館(ニュースパーク)がある。入ってすぐ目にするのは、当博物館のシンボルになっている新聞オフセット輪転機(東京機械製作所製造)。高さ7・3m、重量78・7トンの巨大な機械だ
(写真1)。
1871年1月28日(明治3年12月8日)に、横浜で日本最初の日刊新聞「橫濱毎日新聞」が創刊された(写真2)。当時の神奈川県令(県知事)の井関盛艮が横浜の貿易の発展を願い、近代的な新聞の必要性を説いた。洋紙1枚の活版印刷。当日の金銀相場、生糸相場から、外国船の出入り時刻、火事、広告代などを記載する。「諸氏、この知識を発達するはこの新聞紙の大功用であり我が活板社の誠に企望する」と発刊の辞を述べる。
「当時は大切な輸出品だった生糸の相場情報も載っていて、横浜だけでなく生糸産地でも読者がいたといいます。社会の拡がりとともに情報が増えていったようですと、博物館担当主幹の阿部圭介さん。
明治23年に、それまで平台での印刷だったものが、朝日新聞がフランスから輪転機を導入し、印刷部数が一挙に増えて新聞産業が拡大した。
「戦争と新聞コーナーでは、『帝国海軍東太平洋全域に大作戦』など、いわゆる『大本営発表』を載せる新聞を展示しています。いまのロシアでも同様ですが、戦争になると事実の報道ができなくなる。来館の子どもたちにも伝えていきたい」と、阿部さんは新聞の大切な役割を忘れないようにしたいと話す。
全国の県紙の閲覧や、新聞発行に関わるゲームも楽しめる。
月曜休館(10時〜17 時)、みなとみらい線「日本大通り駅」3番出口(情文センター口)直結。入館料一般400円。
(写真1)。
1871年1月28日(明治3年12月8日)に、横浜で日本最初の日刊新聞「橫濱毎日新聞」が創刊された(写真2)。当時の神奈川県令(県知事)の井関盛艮が横浜の貿易の発展を願い、近代的な新聞の必要性を説いた。洋紙1枚の活版印刷。当日の金銀相場、生糸相場から、外国船の出入り時刻、火事、広告代などを記載する。「諸氏、この知識を発達するはこの新聞紙の大功用であり我が活板社の誠に企望する」と発刊の辞を述べる。
「当時は大切な輸出品だった生糸の相場情報も載っていて、横浜だけでなく生糸産地でも読者がいたといいます。社会の拡がりとともに情報が増えていったようですと、博物館担当主幹の阿部圭介さん。
明治23年に、それまで平台での印刷だったものが、朝日新聞がフランスから輪転機を導入し、印刷部数が一挙に増えて新聞産業が拡大した。
「戦争と新聞コーナーでは、『帝国海軍東太平洋全域に大作戦』など、いわゆる『大本営発表』を載せる新聞を展示しています。いまのロシアでも同様ですが、戦争になると事実の報道ができなくなる。来館の子どもたちにも伝えていきたい」と、阿部さんは新聞の大切な役割を忘れないようにしたいと話す。
全国の県紙の閲覧や、新聞発行に関わるゲームも楽しめる。
月曜休館(10時〜17 時)、みなとみらい線「日本大通り駅」3番出口(情文センター口)直結。入館料一般400円。