インタビュー・座談会

「明るい介護」を発信したい 新田恵利/小林 毅/阿部充宏(前半)

「明るい介護」を発信したい 新田恵利/小林 毅/阿部充宏(前半)

 タレントの新田恵利さんの実母ひで子さん(87歳=写真右)は2年前に、骨粗しょう症による圧迫骨折で入院。一方で新田さん自身も今年6月に、脳動脈瘤の手術を受ける。「寝たきり」の辛さも味わったことが、母の介護に生かされているという。厚生労働省の小林毅さん、ケアマネジャーで介護の未来代表の阿部充宏さんとともに、2年間の日々の取り組みを振り返ってもらいながら、介護と向き合うためのポイントを語ってもらった。

 この記事は、前半と後半に分かれます。  
 ■ 前半=車いすから立つことさえできない母にショックを受け… (本ページ)
 ■ 後半=これからも 「明るい介護」 を発信したい (リンク先へ)
 新田 恵利 さん

 新田 恵利 さん

(にった・えり)1985年、「おニャン子クラブ」のメンバーとしてデビュー。86年には「冬のオペラグラス」でソロデビューを果たし、30万枚以上の売り上げを記録。精力的な芸能活動を続け、2011年には自身初の小説「アイドルと付き合う方法(宝島社)」を出版している。

骨折から寝たきりに 突然始まった介護生活

 小林(司会) 本日の司会を務める小林です。厚生労働省老健局高齢者支援課で福祉用具・住宅改修の指導官をしています。いままでは作業療法士として大学病院などの臨床現場にいたほか、今年3月までは大学で教鞭をとり、後進育成にも携わっていました。
 新田さんは今、一緒に暮らしているお母様の介護をされているのですね。
 新田 16年前に家を建て、母と一緒に暮らすようになりました。一昨年に圧迫骨折を起こして、退院後に要介護4の認定を受けました。はじめは寝たきりでしたが、今は要介護3に改善し、車いすにも乗っています。私自身はようやく在宅介護にも慣れてきたところです。振り返ると、とても慌ただしい2年でしたね。
 小林 骨折が原因で介護生活が始まったのですね。

 新田 圧迫骨折を起こしたのは、ちょうど私が仕事で家を留守にしている時でした。母は2年ほど前から骨粗しょう症で、それまでも何度か圧迫骨折を経験していました。いつもは1週間くらいで普段の生活に戻れていたので、今回もそうだろうと楽観的にみていましたね。
 でもその時は痛みが強くて、母の方から入院したいと訴えてきたんです。私もそのころ舞台のお仕事で忙しくしていて、母には病院にいてくれた方が安心でした。ところが入院して10日が過ぎたころ、母の言動が少しおかしくなったんです。父はずいぶん前に他界していましたが、「お父さんは家で何しているかしら」と言い出すようになって…。
 これはまずいと慌てて退院を決めました。退院の日、母を自宅へ向かうタクシーに乗せるときに衝撃を受けました。歩くどころか車いすから腰を浮かすことさえできなくなっているんです。家で待っていた兄も帰ってきた母の姿にショックを隠し切れない様子でしたね。家に運ぶときも、足首に力が入らず、つま先を引きずられている母を見たとき、ようやく「ああ、母は寝たきりになってしまったんだ」と理解しました。病院に迎えにいくまで想像もしていなかったことなので、本当にいきなり介護生活が始まったという感じでしたね。
 小林 毅 さん

 小林 毅 さん

(こばやし・たけし)作業療法士。信州大学医療技術短期大学部卒業後、帝京大学医学部付属市原病院(現・帝京大学ちば総合医療センター)に勤務。千葉県や長野県の医療現場でセラピストとして活躍した後、大学、専門学校の教員として後進の指導にあたる。今年4 月より現職

辿り着いた地域包括支援センター

 阿部 阿部です。2000年の制度開始と同時にケアマネジャーの職に就きました。神奈川県介護支援専門員協会の理事長を4年間務め、現在は顧問の立場です。昨年会社を起こして、介護事業者のコンサルタントや行政からの委託事業などを行っています。 
 新田さんのお話しですが、まず骨折が原因で介護が必要になるケースはかなり多いです。新田さんのお母様の場合は圧迫骨折ということですが、一般的に多いのが転倒による骨折です。それから入院となるわけですが、今は在院日数、病院に入院できる期間も高齢化を背景にどんどん短くなっています。病気は治っても、十分なリハビリをなかなか受けられないまま、退院しなければならない。明らかに状態が悪くなっているけれど、何をどうしたらいいかわからないといって相談に来られる方は非常に多いですね。
 新田 確かにそのときは何をどうしたらいいのか、全くわかりませんでしたね。

 小林 このような場合、阿部さんはどのように家族を支援しているのですか。

 阿部 新田さんのように突然介護がやってきたというケースは、はじめのうちはできる限り足を運ぶようにしています。また困ったら連絡してくださいと声をかけますね。やはり皆さん不安で気持ちがいっぱいいっぱいになっていますので。家族に安心感を与えるのもケアマネジャーの役割です。なかには「こんなこと聞いていいのかな」と躊躇されるご家族もいますが、気にしなくて結構ですよとお伝えしています。お仕事されている方とは、メールでやり取りすることも最近はありますよ。
 新田 私もどうしたらいいかわからないまま、とりあえず市役所に行きました。窓口で「入院した母が寝たきりになった」とありのままを伝え、職員の方から教えてもらったのが地域包括支援センターでした。
 それでセンターにおそるおそる電話したら、すごく親身になって話を聞いてくれたんです。そのときにようやく気持ちが少し落ち着いて。わかってくれる人がいたのがとてもうれしかったですね。その翌日の午前中にはすぐケアマネジャーさんが来てくれました。

 小林 要介護認定の手続きですね。その後、介護保険のサービス利用などに繋がっていきます。
 新田 そのころの母の状態はコミュニケーションはとれるんですけど、反応が薄くて、身体も座った姿勢を保つこともできませんでした。ケアマネジャーさんと相談して、訪問介護や訪問リハビリなどのサービスを入れてもらいました。訪問リハビリもそのころはリハビリというよりも、簡単に身体を動かしながら、話を聞いてくださる感じでしたね。 
 母の話をもっと聞いたほうがいいのはわかっていたんですけど、私も仕事と家事に忙殺されて、血の繋がった実母なので同じ話を何度もされると、つい「100万回聞いた」って終わらせちゃう(笑)。リハビリの先生やヘルパーさんは母の話を丁寧に聞いてくれて、母もいろいろ反応を返してくれるのが楽しかったんだと思います。日に日に良い方向へ向かっていきました。半年くらいたって状態が安定してきたので、ケアマネジャーさんが訪問介護と訪問リハビリの頻度を入れ替えたプランに組み直してくれました。
 小林 本人の意欲や目標を引き出すのも、ケアマネジャーの腕の見せどころですよね。新田さんのお母様のプランをリハビリ中心に切り替えたのも、目標に応じてのものだと思います。

 阿部 そうでしょうね。ただ、私も研修などで集まったケアマネジャーに聞いてみると、やる気にあふれた利用者ってやはり多くはいません。それは決して本人のせいではなくて、病気をされたり、身体が不自由になったり、できることが減ってきてということが自分でわかるからなんですね。
 そこをケアマネジャーが少しずつ意欲を引き出していく。でもいきなり「調子がよくなったら何がしたい?」「これまでどんなことをしてきたんですか?」と聞いても、いきなり心を開いてはくれません。まずそうした関係を構築するコミュニケーションが大切ですね。
 新田 母は料理が好きで今も車いすで台所に立つことがあります。でも車いすでは下の収納が邪魔で、腕をせいいっぱい伸ばしてなんとかやっていますね。

 小林 私も現場にいたころ、そうした相談はよく受けました。例えば、シンクの下の収納を取り除いてスペースを作れば、車いすに座ったままでも作業ができます。一般的なキッチンや洗面台なら、それほど難しい工事ではないはずですよ。

 新田 そうですか!実は私、趣味がDIYなのでチャレンジしてみます。

 阿部 それまでやっていたことや役割がまたできるようになる。そうしたことを積み重ねて、その人らしい暮らしを取り戻していくのだと思います。お母様は非常に前向きですけど、多くの人はやはり諦めてしまうんですね。周りの家族も。でも我々のような専門家はそれじゃいけない。前と全く同じようにはいかないかもしれません。でも、例えば料理で包丁を扱うのが難しいなら、手でつぶしたり、ちぎってもいい。その人らしい暮らしを取り戻すためにはどうしたらいいか、そうした視点にたった提案をすることが我々の役割です。
 阿部 充宏 さん

 阿部 充宏 さん

(あべ・みつひろ)1990年、社会福祉法人泉心会へ介護職として入職。特養の施設長なども務める。2015年に「介護の未来」代表就任。近著に「介護支援専門員 専門Ⅰ・Ⅱ 新カリキュラムテキスト(中央法規出版)」など。介護支援専門員、社会福祉士、介護福祉士


(後半へ続く)  
■これからも 「明るい介護」 を発信したい (リンク先へ)

 
 

(福祉用具の日しんぶん2016年10月1日号)

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