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シルバー産業新聞

ラグビー 山口県萩市 有田良二さん(81)

海を越えたラガーマンのつながり

経験が、出会いを生む

arita1.jpg 萩市は、実は山口県内でのラグビー発祥の地。そのきっかけは、終戦後間もなく米軍に代わりニュージーランド軍が駐留し、GHQの指令で広大なイモ畑が全てラグビー場に変えられたことにはじまる。

 有田良二さんは「兵隊がいたことは覚えていますが、競技は直接見たことはありません。もちろん、ラグビーという言葉すら知りませんでした」と記憶を辿る。軍が競技に飽きたのか、そのうちフィールドを使わなくなったのを機に、萩市でチームを作ろうという動きが出はじめた。有田さん曰く「半ば強制的に」作った社会人チーム「萩クラブ」が県内発祥となり、ラグビーが急速に普及しはじめた。

 中学、高校にもラグビー部の創設が相次ぎ、有田さん自身も中学校で入部。高校では国体ベスト4の成績をおさめた。ただ、当時から「船乗りになる」という夢を持っていた有田さん。高校は水産学校で、卒業後はそのまま海上勤務の職に就き、しばらくラグビーとは疎遠になった。

 最初はマグロ漁船に乗っていたが、ほどなくしてビキニ環礁の被ばくで釣ったマグロが全て無駄に。その後商船勤務となり、化学薬品などを中心に世界を駆け回ることになった。「船長になってからは100カ国、200港をまわりました」と有田さん。最長で1年以上は帰港しないこともあり、ラグビーに触れる機会はますます減ってしまったが、その代わりに得られたのが、行く先々での出会いだったと話す。

 「取引先と何となく話していると、実にラガーマンの多いこと。向こうも、日本人の競技者が珍しいのか、興味をもってくれます」と有田さん。「オールブラックス(ニュージーランド代表)の甥をもつ人に会えたときはさすがに興奮しました」と熱く語る。

 再びラグビーを始めたのは定年後、65歳になってから。「魅力をうまく表現できませんが、一度憑りつかれると離れられません。一生健康でいられる秘訣かもしれません」と笑う。

 ポジションは「スクラムハーフ」。スクラムの密集地から最初のパスを出し攻撃の起点を作る。スクラムには直接参加しないため、有田さんのような小柄な体格の選手が担うことが多い。

 現在は60歳以上のメンバーで構成するチーム「オールデッシ山口」の会長兼選手として、国内外のシニアの大会に出場する。「全国大会の交流会に行くと、早稲田・慶應出身、さらに桜のジャージ(日本代表)の経験者がずらり」と恐縮しつつも、「50年経ってようやく名選手と同じフィールドに立てるのも感慨深いです」と語る。

 競技だけでなく観戦にも積極的な有田さんは、4年に1回のワールドカップにもよく足を運ぶ。03年のオーストラリア大会でのエピソード。国内を飛行機移動した際、荷物が届かずクレームセンターで手続きを行っていた有田さんは、そこの責任者(51歳)がラグビー経験者だと分かり、すぐに意気投合。70歳でプレーしている有田さんに大そう驚かれたという。

 その後、市内のスタジアム外に設置された懇親会場に行くと、偶然その責任者とばったり。その場で、「日本人の70歳ラガーマン」として紹介された。地元メディアの取材に加え、オーストラリアのラグビー協会会長がわざわざ挨拶にも来たそうだ。

 「歳をとると思いがけない人のつながりが待っていました。全てラグビーをやっていた恩恵です。若い人たちにもぜひ、こうした経験ができることにおいても、競技を続けることの素晴らしさを知ってほしい」(有田さん)。

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スクラムハーフで攻撃の起点をつくる(中央上:有田さん)

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シニアの国際大会でオーストラリアの選手と

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