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出津教会 隠れキリシタンの末裔信仰の歴史、 語り継ぐ

貧困から自立めざした ド・ロ神父

 長崎市北西部、外海地区の小高い山の上に、ひっそりとたつレンガ造りの建物がある。明治時代の1882年にフランス人のマルコ・マリー・ド・ロ神父が住民と建てた出津(しつ)教会は、今も信徒たちの安らぎの場として地域を支えている。そこで教会守を務める高橋渉さん(74歳)は隠れキリシタンの末裔。キリシタン弾圧の歴史、地域との関わりを語り継ぐ。「小学生の頃は毎朝5時に起きて、教会で祈りを捧げてから登校するのが日課でした」と話す高橋さん。出津で生まれ、幼いころより教会と関わってきた。学校卒業後は郵便局に約35年間勤め、郵便局員として地域の生活を支えた。 

隠れキリシタンの末裔1.jpg

 高橋さんが教会守になったのは、同教会が「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の一つとして世界遺産候補になったことがきっかけ。観光客への対応と、教会の行事と観光客がブッキングしないよう調整する役職が必要になり、同教会の教徒会役員を務める高橋さんに白羽の矢がたった。「自分が少しでも教会と地域の役にたてるなら」と引き受けた。 

 現在、出津には住民の半数近い650人ほどのカトリック信徒が生活し、教会ではほぼ毎日ミサが行われている。高橋さんは早朝のミサが終わるとインフォメーションセンターから連絡を受けて教会を開放、見学者の案内を行う。頼まれれば観光ガイドも引き受ける。

 「大事なのは神様に尽くす愛の精神。辛いことがあっても来世のために、隣人のために尽くすことが大事だと思っている」と語る。

 教会守の傍ら、行政職員として外海地区の住民の相談にも奔走。「外海パスカの里史跡検証会」の一員として、ボランティアで市の重要文化財の管理も行っている。

約250年続いた宗教弾圧

 外海地区の信仰は1563年、当時領主の大村純忠が日本初のキリシタン大名になったことで急速に拡大したが、その後幕府による宗教弾圧が約250年間続いた。

教会設立と地域の信仰

隠れキリシタンの末裔2.jpg ド・ロ神父が外海地区にやって来た後、禁教令は1873年に廃止。住民たちは建築家でもある同神父とともに海から吹き上げる強風に負けないよう、煉瓦や漆喰を重ね、質素ながらも頑強な建物を作り上げた。 その後、同神父は授産施設「旧出津救助院」や薬局、風車小屋などを次々と設立し、貧しい地域の発展に寄与した。 旧出津救助院の管理者で、修道女の赤窄須美子さんは、「信仰による魂の救済が神父の第一の目的ではありましたが、なによりも貧困にあえぐ住民の生活を救いたかったという気持ちがあったのではないでしょうか」と話す。

 同施設では、働き口のない女性たちがマカロニやそうめんを製造し、出島の外国人へ売ることで生計をたてた。「施設2階の時計は15分ごとに音が鳴るよう細工してあります。音の間は手を止めて、神様への祈りを捧げることがルールだったそうです」と赤窄さんは説明する。

観光と教会のはざまで

 出津教会や旧出津救助院への観光客は年々増加。毎日約60人の観光客が全国から訪れる人気スポットとなりつつある。

 「中には良く思わない信徒もいるかもしれない。私としては、教会を訪れた人に教会とは何か、カトリックとは何かを知ってもらうだけでありがたい。先祖がどのように繁栄し、弾圧を受け、教会に帰ってきたのか。その歴史を感じてほしいと思います」と高橋さん。人々の想いによって建てられた教会で、訪れた人にその歴史を伝えている。

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