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史跡足利学校 孔佩群さん

孔子の教えを受け継ぎ書物の保存・普及に人生を捧ぐ

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 日本最古の学校で教育の原点と言われている足利学校。創建については諸説あるが、歴史が明らかになるのは室町時代の1439年である。関東管領の上杉憲実(のりざね)が書籍を寄進し、鎌倉円覚寺から僧・快元(かいげん)を招き、初代の庠主(しょうしゅ=校長)として経営にあたらせた。

 興隆期の室町時代には3,000人の学徒が儒学を学び、1549年に来訪したフランシスコ・ザビエルは「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に発信した。

 学校としては1872年まで使用され、1921年3月に孔子廟、学枚門などの建物を含め国指定史跡となった。90年12月には復原工事が行われ、現在、江戸時代中期の姿が再現されている。

 足利学校の正面玄関となる入徳門、さらにまっすぐ先にある学校門をくぐり敷地内に入れば、すぐ左にあるのが学校の財産である貴重な書物が納められた図書館だ。

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  土蔵とあわせて3万2,000冊が保管されている。そのうち古書は1万7,000冊。77冊が国宝、98冊が重要文化財の指定を受けている。

 学校門の正面を進んだ先には儒教の祖・孔子を祀る「孔子廟」がたたずむ。徳川幕府4代将軍家綱の時代に造営されたもの。そして、孔子廟の隣には講義や学習が行われた「方丈」と呼ばれる学舎が立ち、それを挟む北庭園・南庭園の緑が建物をより引き立てる。

 学習の大半は論語を読み、書き写す自習形式。ここで学んだ僧たちは卒業後、地元に戻り「君子」として儒学の普及・伝播に努めたという。

 そんな足利学校の見どころを案内してくれたのが、嘱託職員として勤める孔佩群(こうはいぐん)さん。孔子の76代子孫にあたる人だ。

 孔さんは中国の大学で教育学を専攻。何かを人に説明したり教えたりするのが大好きだと話す。13年前に結婚し日本に移り、子供2人の世話に追われながら独学で日本語を勉強した。

 足利学校の前は群馬県太田市の教育委員会に勤務。その頃たまたま観光で足利学校に来たのが今の仕事との出会いだった。

 ちょうど方丈で論語大会が行われているのを見て感銘を受け、孔子廟があることを初めて知った。「ここで働きたい」。すぐさま足利市役所へ問合わせ、その後職員の登録を行った。

 孔さんは「孔子の教えが日本でここまで深く受け継がれていることが、何より感動しました」と語る。市役所の職員も、孔子の子孫だと知って大層驚いたという。

 仕事内容は観光客、特に外国人の団体客への施設内のガイドが中心。「宣伝活動も行い、ここ2、3年で外国人のお客さんは随分増えました」と孔さん。建物の景観維持から案内板の設置は極力控えているため、ある程度通訳が必要だと説明する。

 定期的に開催される論語大会では司会も務める。さらに「最も緊張する」と本人が話すのが「曝書(ばくしょ)」と呼ばれる書物の点検作業だ。

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  毎年の伝統行事として、重要文化財等の書物の一部を虫干しし、保存状態を確かめる。状態の悪いものは写真に撮り、修復依頼をかける。作業中は化粧や香水は一切禁止されている。

 孔さん自身も、足利学校の魅力は書物だと強調する。「多くは唐の時代の交易で輸入されたものです。儒学だけでなく兵学、天文学、陰陽学、さらに医学も充実し、漢方薬の勉強に訪れた医師もいたそうです。足利学校が総合大学たるゆえんです」と説明する。

 孔さんの直接の先祖にあたる孔穎達(くえいたつ)の書物も保存されている。唐の学者で、主に史書等の編集や翻訳作業に携わっていた。

 足利学校は何度かの火災が原因で焼失してしまった資料も多い。「書物を記す人、それを保存する人達はそれぞれ命をかけてきました。重責ですが、その意思を私たちが引き継がなければなりません」と真剣な表情をみせる。

 家では代々、儒教にある「仁・義・礼・智・信」の五常の教えを守るよう言われてきた。「親を大切にすることと、忠実であること。特にこの2つを大切にしていきたい」と孔さんは語った。

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