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シルバー産業新聞

おばけの金太

先祖の思い引き継ぐ

 250~260年前に京都の人形師、初代の西陣屋新左衛門が熊本(新町)に来て店を開いた。代々、雛人形や祭り人形など四季折々の人形を作り続けてきたが、江戸時代の末期嘉永年間に5代目の彦七が余技として金太を作り始めた。金太は加藤清正公が熊本城築城した頃、風貌が滑稽で冗談を言って周りの人を笑わせていた足軽の金太という人物をモチーフにしたもので、その頃でも、いつもおどけた仕草で人の心を慰めていた足軽金太の伝説が庶民の間に流布していたのだろう。

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  • 10代目厚賀新八郎さん

 

 黒鳥帽子(くろえぼし)をかぶり、いまにも笑いだしそうな顔が、「おどけ」の仕草として、ひもを引くと目と舌が動くように考えられた。目と舌を動かすために、頭の中に竹バネが調整されている。竹の弾力を竹バネとして使ったこの仕掛けは、簡単な仕組みのように見えながら、ひもの引き具合で微妙な表情を作り出しており、職人としての人形師の仕事だと納得させられる。表面の胡粉やにかわを使って仕上げてあるため、赤い顔が一層鮮やかであり、和紙を使った張り子とは思えないほど繊細である。竹バネは0.2~0.3mmに薄く削る、和紙は10数枚を丁寧に貼り付ける、胡粉の上から赤く塗るなどの技術が隠されている。

 「おどけの金太」は、目と舌が動くことから、びっくりして「おばけの金太」と呼ばれるようになり、やがてそれが定着する。

 その後、明治10年の西南の役の時に、新町に砲台が向けられた時に、新町の住民が避難する事態となり、その際6代目は「おばけの金太」の型だけを持って命からがら逃げたという。新町は焼け野原になったが、そのおかげで「おばけの金太」は現在まで残ることになった。

 現在の10代目新八郎さん(68)は、父の9代目が余技としての「おばけの金太」作りを止めようとしていることを知って、戦争のときに型を持って逃げた「先祖の思いを継いで行く」決心をして、サラリーマンを辞めて「おばけの金太」作りに専念することになった。

 新八郎さんは、金太の赤い顔は、金太郎人形の赤い顔に通じるものがあり、天然痘などの疫病をガードして無病息災を願うもの。また舌を出す動作は、めでたい時の三番叟に舌出し三番叟などがあり、チベットでは挨拶代わりに舌を出す風習があることなどを研究して、金太をより深く理解できるよう努めている。

 また、現在小学校5・6年生の「図画」の教科書にも取り上げられていることから、地元の小学校に出張講義する機会も増えている。出張講義では、一緒に金太作りも行うが、「みんな楽しんでくれているけど、なかなか上手にはできませんよ」。

 新八郎さんの気がかりは、後継者。息子さんは、「手伝いはしてくれるが、後を継ぐ気持ちはなさそう」。何とか息子さんに翻意してもらいたいものだ。

 金太の大きさは、当初は30cmくらいの大きなものであったが、今では4種で18~28cmだが、22cmくらいの中くらいのものが一番よく出るという。

 最近では、金太以外でも、熊本県のPRキャラクター「くまモン」の舌出し人形や加藤清正公など、注文に応じて作製している。

 「おばけの金太」は、県伝統工芸館(熊本城横)、市工芸会館(JR川尻駅徒歩8分)、県物産館(交通センター横)、熊本空港、水前寺公園売店などで購入できる(ただ、品切れのことが多いそう)。

<ねんりんピック新聞 2011年号>

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