ケアマネジャーはじめ介護・医療に携わる皆さまへ様々な最新
情報を深く分かりやすくお伝えする「シルバー産業新聞」です。

Care-new.jp

大中小 テキストサイズ変更RSS

シルバー産業新聞

なぎなた 萩原幸さん・八木浄子さん(大阪市)

念願の親子出場 呼吸ぴったりで「演技」に挑む

sisterxdjsopajsaop.jpg

 萩原幸さんの夢が叶った。

 小学校や女学校で親しんだ「なぎなた」を、子育ての済んだ1972年に再開し、いろいろな大会にも出場してきたが、60歳を過ぎてからは、ねんりんピックが一つの目標となった。93年の京都大会に初めて出場したのをきっかけに、2000年の大阪大会では優勝も経験した。そのうち、娘の浄子さんが、60歳に近づくにつれ、「親子でねんりんピック」が大きな目標となった。親子で出場するためには、実力を維持することが大事だったが、練習を続けることによって、念願の親子出場を勝ち取った。

 なぎなたは、3人1組の団体、個人の「試合」と防具をつけずに2人で型を競う「演技」の3種目があり、今回2人は、演技に出場する。2人で技の出来を競うもので、時間は3分間。5人の審判が採点する。試合よりも「神経を使う」(幸さん)そうだ。周りからは、親子だけに「呼吸が合っている」といわれるが、幸さんは、「だんだん、足が出にくくなって」。浄子さんは、「動作が少しゆっくりなので、合わしにくい」とはいうものの、それを口に出して言えるのは、親子だからこそ。

 幸さんは、自宅近くの住吉大社に武道館ができて、詩吟の友人となぎなた教室の門を叩いたのが72年。その時から続けているのは、幸さんただ一人になってしまった。40年以上も続けてこられたのは、今も「先生」と慕う大阪府で唯一の範士である山尾洋子さん(88)の存在。練習は厳しいが、その結果着実に実力がついた。そして、人情味あふれる付き合いが長い間続けられた原動力となっている。

 今回、3、4日家を空けることになるが、ご主人がその間ショートステイを予約して、喜んで送り出してくれるのが、「嬉しい」。

fourjdsiojdioa.jpg

 

 浄子さんは、母親の影響で、早くからなぎなたに親しんだと思われがちだが、実際は娘さんが小学1年の時、同武道館のなぎなた少女教室に通うのに付添ったのがきっかけ。なぎなたが性格に合ったのか、すっかりはまってしまい、練習に熱が入り、国体代表選考への出場権を得たこともあるほどの実力者に。

 浄子さんは、いろいろな大会で知り合った他府県の選手たちと、初めてねんりんピックの場で会えることを楽しみにしている。すでにメールで「出るよ」「私も」と連絡しあっている。

 「いつまで親子で出られるのか、わからないので、今年は頑張ります。娘と一緒に出ようと思っても30年先なので」と、浄子さん。いつまでも母、幸さんと出たいという気持ちとともに、インターハイや国体出場経験をもつ長女、千智さんとの30年後の親子出場も見据えているようだ。

  • 福祉住環境コーディネーター検定試験
  • SSL グローバルサインのサイトシール