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蜃気楼旋風 魚津高校 1958年夏の甲子園 (2018年)

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 富山県立魚津高校が、甲子園で蜃気楼旋風を巻き起こしたのは、いまから60年前の1958年。現在、同校の体育教師で野球部長を務める木谷寿之先生は、この年の生まれ。まもなく60歳の定年を迎える。因縁のようなものを感じると言う。父親、自分、息子、3代続けてこの高校で野球に打ち込んだ。村椿さんには何度もお会いしたことがあるが、闘志を内に秘めた静かな印象の人だと言う。

 木谷先生に野球の魅力は何かを尋ねた。「1対1の勝負」、「試合時間の中でボールが動いている時間は少なく、残りは敵味方の動きを観察し予測する時間、これが面白い」、そして「ひとりのミスをだれかがカバーしてくれる」の3点をあげた。

 木谷先生自身は、キャッチャーをしていた。投手には「怖がるな。思いっきり来い」と言った。「自分の力を発揮して負けたら、仕方がない。そこれができたのが村椿さんたちのチームだった」。

 父親から、村椿さんの時より強かったチームがあると聞かされていた。蜃気楼旋風の3年前。だが実力を発揮できず、負けてしまった。

 父は村椿さんより年上で、その当時26歳。野球部で後輩の指導などに関わってきた。

 「自分も指導者として甲子園に行きたい」と、魚津高校に30歳と54歳のときに体育教師として赴任した。

 ともに野球部監督になったが、部員とともに「第二蜃気楼旋風」を吹かす夢を叶えることはできなかった。

 100回大会の今年の県予選では、1回戦で強豪に勝ちながら、2回戦で惜敗した。

 1958年(昭和33年)の夏の甲子園は、第40回記念大会となり、沖縄を含む47都道府県の代表校が出場した。富山県代表となった魚津高校は初出場ながら、エース村椿輝雄を擁して、浪華商業(大阪)、明治(東京)、桐生(群馬)を破り、準々決勝に勝ち上った。相手は板東英二の徳島商業。板東はこの大会で1大会83奪三振の記録を打ち立てた辣腕。村椿はスリークオーターから右打者の胸元深くえぐった。

 試合は両者譲らず、規定により延長18回0対0の引き分け再試合となった。ともに打者61人、被安打は板東6、村椿7、奪三振は板東26、村椿9、四死球は板東3、村椿5の成績だった。再試合は3対1で徳島に敗れたが、富山湾の蜃気楼から、蜃気楼旋風を名付けられた。

 

ねんりんピックしんぶん2018in富山

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