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ともに生きる くも膜下出血で倒れた妻と(1)

 内科医の石川智信さんは1994年に宮崎市内に「いしかわ内科(医療法人社団三友会)」を開いた。かかりつけ医として365日24時間対応で、同じく医師である奥さんの万佐子さんと共に在宅患者を支えてきた。しかし、万佐子さんがくも膜下出血で倒れ、右半身麻痺と全失語の後遺症を負った。「小さなことでも家族が一緒に喜ぶことが大事」と話す石川さん。10年続けている介護体験を語る。

 

 

ともに生きる くも膜下出血で倒れた妻と(1)

 

術後目覚めた万佐子さん

 妻、万佐子が倒れたのは2008年の9月19日です。左中大動脈が破裂しました。
 一般的にくも膜下出血の手術では、未破裂の動脈瘤の根本を金属の洗濯ばさみで抑えて動脈瘤への血流をとめる「開頭クリッピング術」を行い、破裂を予防します。しかし、残念なことに万佐子の場合は破裂した動脈瘤が大きかったため、血管の再建が出来ませんでした。
 何回も手術を続けると、脳全体がダメになり最悪の場合は植物状態になるといわれ、結果的に左側の脳を犠牲にして命を助けていただきました。
 万佐子が倒れたとき、医師として恥ずかしいくらいにうろたえました。万佐子の状況を第三者としてきちんと理解していたつもりですが、後遺症の「右半身麻痺」と「全失語」を、私自身が受け止め切れませんでした。
 手術が終わり、病室で眼が覚めた万佐子はまず、起き上れないことと、全失語の影響で「相手が話していることが理解できない」「自分が思っていることを言葉で伝えられない」という状況に混乱していました。
 身体的な面では車いすや歩行器を使ったリハビリに取組みました。万佐子はやる気がとてもあり、禁止されていたのにこっそり一人で階段を上り下りするリハビリに取組んでいました(笑)。
 退院したのは4カ月半後の1月31日でしたが、その時には車いすは使わず、杖1本で歩行できるまでに改善していました。
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退院後は道具を使ったリハビリにも力を入れた

絵や写真を使ってコミュニケーション

 万佐子が言葉を理解できない・伝えられないという状況に私はだいぶ焦っていました。言語リハビリは難しいと知っていましたが、いざ身内が同じ状況になると全く冷静でいられませんでした。
 万佐子はひらがなを認識できなかったり、言葉の言い間違いをする、モノを正しく使えないなどの症状がありました。例えば、ナイフを口に入れたり、「ブラシを洗面台の手前において欲しい」と「ブラシを洗面台の下において欲しい」との違いが理解できませんでした。
 最初の頃は身振り手振りや絵を描いてもらう、写真を見せるなど工夫をしながらコミュニケーションをとるようにしていました。
 もともと絵が得意だったのと、右脳を鍛えるために、11年に絵画教室に通いはじめました。最初に書いた水彩画は小学生の作品のようでしたが、何度も描き続け、絵画教室の先生に「色彩がとても綺麗」と評価頂き、本人がとても喜んでいたのを覚えています(写真)。
 自然や美に触れることは万佐子にとってとても良い影響が多く、折りたたみ杖を持ってイタリアの美術館で世界的な絵画に触れたり、海外旅行も楽しんできました。
 メロディーがあればもっと言葉を思い出せるようになるのでは……と思い、歌も始めました。半年かけて1曲のうち1番目のパートが歌えるようになるくらいのペースですが、麻痺のない左手でピアノを弾きながら歌っています。
 この他、娘が日本舞踊を始めたのがきっかけで、万佐子も体幹を鍛えるために始めました。麻痺のある右手は着物の衿に入れて固定して、踊っています。 人前で発表をするのが得意ではなかったのですが、習い事を始めてからは「歌や踊りをどこかで発表したい!」と意欲的になりました。
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2へ続く

福祉用具の日しんぶん 2019年10月1日

 

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