ケアマネジャーはじめ介護・医療に携わる皆さまへ様々な最新
情報を深く分かりやすくお伝えする「シルバー産業新聞」です。

Care-new.jp

大中小 テキストサイズ変更RSS

シルバー産業新聞

特別座談会 介護に欠かせない福祉用具:前編 (2018年)

【出席者】

 フリーアナウンサー 岩佐まりさん

 厚生労働省老健局高齢者支援課 福祉用具・住宅改修指導官 松本琢麿さん

 福祉技術研究所 代表 市川洌さん

 

 フリーアナウンサーの岩佐まりさんは29歳の若さで、アルツハイマー型認知症の母親を引き取り、一人で在宅介護を行っている。仕事をしながらの介護生活。初めは衝突することも度々で、服を引っ張り合う大げんかになったこともあった。ただ、「母の気持ちがわかるようになり、少しずつ余裕が持てるようになった」という。認知症の人の介護はまるで「謎解きゲーム」のようだと岩佐さん。朝起きてTシャツを着せられた扇風機を目のあたりにしても、「なぜこんなことをしたのか」と母親の思考を推理する。そんなベテラン介護者の岩佐さんだが、介護の負担で腰痛になってしまった。厚生労働省の松本琢麿さん、福祉技術研究所の市川洌さんとともに、認知症の人と向き合うポイント、介護負担を軽減する福祉用具の使い方について語ってもらった。

 

50代で「軽度認知障害」に

18f_iwasa.jpg

 松本(司会) 本日の進行を務めます松本琢麿です。今年4月より、厚生労働省老健局高齢者支援課で福祉用具・住宅改修指導官に就いております。それまでは、神奈川県総合リハビリテーションセンターで、作業療法士として働いており、特に重度四肢麻痺や高次脳機能障害の方などに多く関わってまいりました。

 それではおふたりからも自己紹介をお願いいたします。

 岩佐 岩佐まりです。アナウンサーとして活動しながら、アルツハイマー型認知症の母を在宅で介護しています。

 市川 福祉技術研究所の市川洌(きよし)です。もともとはエンジニアで、福祉機器の研究開発に大学在籍時から携わってきました。2001年に独立して、全国の介護施設などを対象に、福祉用具の活用法についてのコンサルティングなどを行っています。また岩佐さんと同じく、15年ほど前に妻の母がアルツハイマー型認知症を発症し、在宅で介護をしておりました。妻の頑張りで、今年初めに自宅で看取ることができました。

 松本 ありがとうございます。岩佐さんは非常に若くして、お母さまの介護をされているのですね。

 岩佐 はい。私は18歳の時に、地元の大阪から上京してきたのですが、ちょうどその頃から、母にもの忘れの兆候が現れ始めました。初めのうちは、些細なものでしたが、次第についさっき私に電話をかけたことも忘れるようになりました。当時、母もまだ55歳と若かったので、私も「少し変だな」と思い、母を連れて病院をあちこちまわりました。どこの病院でも病名がわからず、ようやくたどり着いた「もの忘れ外来」で、軽度認知障害(MCI)だと診断されました。

 松本 日常生活は自立して送れていますが、本人、家族から記憶障がいの訴えがある状態ですね。

 岩佐 しかし、MCIと診断された後も母のもの忘れはひどくなる一方で、「料理が作れない」「掃除ができない」など、いよいよ日常生活に支障をきたすようになっていました。私はすでに上京しておりましたので、その頃は父が一人で母の面倒をみていました。仕事と母の介護で心身ともに疲弊していく父の様子をみながら、「この先どうなってしまうのだろう」という不安を抱えていました。

29歳で母親を引き取る決心

18f_matsumoto_t.jpg

 松本 岩佐さんがお母さまを東京に引き取り、介護されるようになったきっかけは何だったのでしょう。

 岩佐 父はもの忘れをしてしまう母に対して、「なぜこんなことができないんだ!」と毎日、怒りをぶつけていました。父には認知症になった母を受け入れることが難しかったのだと思います。私も未だに、以前の母に会いたいと思うことがありますし、その気持ちは理解できます。ただ、父に怒鳴られ、どんどん萎縮していく母の姿をみて、「母を安心させてあげたい」と、実家から引き取る決心をしました。今から5年ほど前。母は64歳、私が29歳の時でした。

 当時、私はケーブルテレビのキャスターを務めていて、フリーといっても一般的な会社員と変わらない働き方をしていました。平日はデイサービスに母を送ってから出社し、仕事が終わると迎えに行き、母と一緒に自宅へ帰ります。

 松本 デイサービスを利用しているのですね。それでも慣れないうちは、仕事と介護の両立は大変だったのではありませんか。

 岩佐 はい。買い物をして、料理も作ってと、私なりに精一杯やっていたつもりでしたが、「ご飯がおいしくない」「お風呂に入りたくない」と拒否され、その頃から母は暴言や暴力も出るようになっていました。私も「これだけ一生懸命やっているのに、どうして理解してくれないの」という思いを抱え、親子で何度もぶつかりました。服を引っ張りあったり、大げんかの末に母が家を飛び出してしまったりしたこともありました。今、振り返れば、慣れない生活に余裕がなく、母の不安に寄り添うことができていなかったのです。

 市川 私の場合は義母ですが、岩佐さんのお母さまと同じアルツハイマー型の認知症でした。認知症の方の介護では、「怒ってはいけない」「否定してはいけない」「自尊心を傷つけてはいけない」とよくいわれますが、日々の介護の中で本当にその通りだと実感しましたね。例えば、家の中で用を足してしまっても決して責めてはいけない。それを徹底するようになって、認知症の周辺症状はかなり落ち着いてきました。

 松本 認知症の方を支える大切なポイントですね。しかし、人間ですから、ストレスも溜まりますし、時には怒りたくなることもあります。

 市川 そうですね。特に認知症の場合は、介護者への支援がなければ、支える人がつぶれてしまいかねません。

 岩佐 そうですね。私は母と常に2人なので、ストレス発散といってもなかなか難しい。一人で、がむしゃらになっていた私を見かねたのか、担当ケアマネジャーの方から、週1回のショートステイを勧めていただきました。そのおかげで友人と遊ぶ時間ももてるようになりました。

 それから、私はお酒が好きで、一升瓶を片手に訪ねてくれる友人もいます(笑)。母も一緒にテーブルを囲んで、お酒を飲みながらおしゃべりを楽しむ。周囲の方には本当に恵まれていると実感しています。

 あと、相談する場所を求めて介護者の家族会にも参加するようになりました。もちろん介護保険制度やサービスのことなら、地域包括支援センターやケアマネジャーさんに相談しますが、漠然とした将来の不安のような、とりとめもない話を聞いてくれる場所がなかったんです。友人もさすがに介護の話はわかりませんし。

 松本 同じ立場で話ができるのはとても参考になるでしょうね。障がい分野などでも、当事者の方や家族同士がつながる場が多くもたれているようです。

 岩佐 さすがに同世代の介護者はいませんが、介護の先輩からいろいろと教えてもらったり、同じように介護を頑張っている人がこんなにいるとわかると少しだけ心が軽くなりました。

大切な声がけ

18f_ichikawa.jpg

 松本 そうして介護を続ける中で、うまくやる「コツ」のようなものはあるのでしょうか。

 岩佐 母の場合は、特にお風呂や着替えを嫌がって大変でした。でも、嫌がる理由がそれぞれにあるんです。例えば、「冬場は脱衣室が寒いから服を脱ぎたくない」など。そこで暖房を入れてあげると、抵抗なく着替えてくれる。それまで、母が何を嫌がっているのかがわからなかったんです。お風呂も、「今からお風呂に入るからね」と一言声をかけることが大事だと気づきました。本人は認知症だから、これからお風呂に入るという状況が理解できていなかったんですね。声をかけて「今からお風呂か」と理解してもらえれば抵抗もありません。

 松本 状況がわからないまま、いきなりシャワーを浴びさせられたら誰でも怒りますよね。

 岩佐 ええ。それに気づくまで、何度も水と暴言を浴びせられました(笑)

 市川 認知症だからといって何もわからないのではなく、ただ表現の仕方がわからないだけなんですよね。だから、「どうせわからないだろう」と思って接してしまうと、大問題を引き起こしてしまう。

 以前、義母が「困った。困った」とあまりに悩んでいたものですから、妻が「何をそんなに困っているの」と尋ねたら、「それがわからないから困っているんだ」と(笑)。自分の頭が混乱していっていることが本人もちゃんと理解しているんです。それがたまらなく嫌で、不安な気持ちを抱えているのだと感じましたね。

 

後編に続く)

 

福祉用具の日しんぶん2018

  • 【お知らせ】電子版「シルバー産業新聞」
  • シルバー産業新聞申し込み
  • ハンドブック申し込み
  • SSL グローバルサインのサイトシール